来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を畏れることを教えよう。(詩篇34篇11節)
詩篇34篇は、アルファベット歌の一つで、どちらかというと箴言と共通の知恵文学です。ここには「教育の原則」が述べ られています。昨今、現代教育、学校教育の限界が生じ、教育界の破壊現象ともいうべき状況が続いています。多くの教育関係者が、何とかしなければ、と苦闘 していますが、その糸口はみつかりません。むしろ、なお混乱の一途をたどっています。
今日、多くの人々が苦闘している問題は「いかに人を育てるか」です。日本社会は物が豊かになり、見事なまでに物質文明 を確立し、貧困がほとんどなくなってきました。臨床の世界に目をとめて見ると、死亡原因第一位であった癌が遺伝病とわかり、克服できる状況までになってき ました。昨年の統計(2000年度)で、癌による死亡率が国民の死亡原因の第二位となったことを見ても、そのことは十分に理解できます。日本社会は、貧困 や癌による死亡などの恐れを克服した、あるいは克服しようとしています。しかしその反面で、自己実現と称して自己の欲望を追求し続け、規範も模範も道徳観 倫理観さえ必要としない、恐れるものは何も無い、という価値観をも作りだしてしまいました。
聖書は、頑固にしかも徹底的に、「主を畏れることを教える」ことが本当の教育の原則であると主張します。神を神とし、神を第一として畏れ従って生きるように教えるのが教育だというのです。
先日、ある文章に触れました。それは、子育ての秘訣についてです。子供たちを、人間としてみなすばらしく育てている方 がおられます。よく育児の秘訣、教育の秘訣は何かを聞かれるそうです。すると次のように答えるそうです。「よく聞かれて困るのです。まぐれです。私も家内 も特別によくやったということはありません。まして互いに優れているなどと思ったこともありません。いくら親だからといって、子供の心に手を突っ込んでネ ジを巻くわけにもいきません。全くお手上げ状態です。ですから私たち夫婦は、朝早く起きて四人の子供のため、一生懸命神様にお祈りしたのです。365日欠 かしたことはありません」と・・・。
この文章にふれたとき、わかった!と思いました。神を畏れ、神に従う子供には、何一つ財産を残してやれなくても、どんなことが起ころうとも心配することはありません。神様が心配してくださるからです。