だれでも渇いているなら、わたしのところに来て飲みなさい。ヨハネ7:37

私たちの信仰・信条

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私たちの教会は「敬虔」と「伝統」の統合を目指しています。
このために次の点を重んじています。

1.聖書

・救いと信仰と生活の唯一の基準

2.信条

・私たちの信仰を正しく支え整えていく内容
・伝統的信仰告白である三大信条(使徒信条ニカイア信条アタナシウス信条

3.職制

・教会を形成するために必要な制度

私たちの教会は正統的なプロテスタント教会です。

統一教会、エホバの証人、モルモン教会などとは一切関係ありません。
ただし、これらの教団からの救出などについてのご相談はいつでも承ります。

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。
わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、
十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、
三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。
そして、全能の父である神の右に座しておられます。
そこからこられて、生きている者と死んでいる者をさばかれます。
わたしは聖霊を信じます。
きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
永遠のいのちを信じます。
アーメン

私たちは、ただひとりの神、すべてを支配される父、天と地と見えるものと見えないもののすべての造り主を信じます。

またただひとりの主イエス・キリストを信じます。主は神のみ子、御ひとり子であって、世々に先立って父から生まれ、光からの光、まこと の神からのまことの神、造られたのでなくて生まれ、父と同質であって、すべてのものは主によって造られました。主は人間である私たちのため、私たちの救い のために、天からくだり、聖霊によりおとめマリアによって受肉し、人となり、私たちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、 葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天にのぼられました。そして父の右に座しておられます。また生きている者と死んだ者をさばくために、栄光のうち に再び来られます。そのみ国は終わることがありません。

また聖霊を信じます。聖霊は主、いのちの与え主であり、父と子から出て、父と子と共に礼拝され、共に栄光を帰せられます。そして預言者によって語られました。

私たちは、ひとつの聖なる公同の使徒的な教会を信じます。罪のゆるしのためのひとつのバプテスマを認めます。死者の復活と、来るべき世のいのちを待ち望みます。

アーメン

1. 救われたいと願う者はみな、すべてのことに先立って公同の信仰を保つことが必要である。
2. この信仰を完全に、汚すことなく守るのでなければ、疑いもなく、永遠に滅びる。
3. 公同の信仰とは、唯一の神を三位において、三位を一体においてあがめ、
4. 位格を混同せず、本質を分離しない信仰である。
5. 父の位格、子の位格、聖霊の位格はそれぞれ異なる。
6. しかし、父と子と聖霊の神性は一、栄光は等しく、尊厳は永遠。
7. 子と聖霊は父と同じである。
8. 父は造られたものでなく、子も造られたものでなく、聖霊も造られたものではない。
9. 父は測り知れず、子も測り知れず、聖霊も測り知れない。
10. 父は永遠、子も永遠、聖霊も永遠。
11. しかも永遠なものは、三でなく一。
12. 造られないものが三あるのでないように、測り知れないものも三あるのではなく、造られないもの、測り知れないものはただ一つ。
13. 父は全能、子も全能、聖霊も全能。
14. しかも全能なものは、三でなく一。
15. このように、父は神、子も神、聖霊も神。
16. しかも、神は三ではなく一。
17. このように、父は主、子も主、聖霊も主。
18. しかも主は三ではなく一。
19. キリスト教の真理によって、それぞれの位格を個別に神であり主であると告白することが求められており、三神三主について語ることを、公同の信仰によって禁じているからである。
20. 父はなにものから成ったのでも造られたのでも生まれたのでもない。
21. 子は父からのみ生まれたのであって成ったのでも造られたのでもない。
22. 聖霊は父と子から出るものであって成ったのでも造られたのでも生まれたのでもない。
23. だから、父は一であって三ではなく、子も一であって三ではなく、聖霊も一であって三ではない。
24. また、この三位一体においては、どれが先でどれが後、どれが大でどれが小ということはない。
25. むしろこの三位格はみな、ともに永遠で、同等である。さきに述べたとおり、すべてをとおして、三位が一体において、一体が三位においてあがめられるのである。
26. それゆえ救われたいと願う者はみな三位一体についてそのように信じなければならない。
27. さらに、われわれの主イエス・キリストの受肉についても、正しく信じることが永遠の救いのために必要である。
28. 正しい信仰とは、われわれの主イエス・キリストが神の子であって、神であり人であることを、われわれが信じ告白することである。
29. 神であるというのは、すべの世に先立って父の本質から生まれたことであり、人であるというのは、この世に母の本質から生まれたことである。
30. キリストは完全な神であり、完全な人であって、理性的な魂と人間の肉をとっていて、
31. 神性にしたがえば父と等しく、人性にしたがえば父より小さい。
32. 神であり人であっても、ふたりのキリストではなく、ひとりのキリスト。
33. 神性が肉に変わったからではなく、神のうちに人性をとったから、ひとりのキリスト。
34. 本質の混同によってではなく、位格が一であるから、ひとりのキリスト。
35. 理性的な魂と肉とがひとりの人となるように神と人とがひとりのキリストになっている。
36. キリストは、われわれの救いのために苦しみを受け、よみに下り、死人の中から復活し、
37. 天に昇り、父の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばく。
38. 主が来ると、すべての人はからだをもって復活し、おのおの自分の行いについて申し開きをするのである。
39. 善を行なった人は永遠のいのちに入り、悪を行なった人は永遠の火に入る。
40. これが公同の信仰である。これを忠実に、また確実に信じる者でなければ、救われることはできない。
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