しかし、私はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章44節)
先日、世界に戦慄が走りました。世界貿易センタービル破壊というテロです。民間機をハイジャックし、爆弾変わりにするという驚くべき行 為です。しかし、この行為はかつての日本が神風特攻隊と称し敵軍に突っ込んだ行為と同じです。このテロ行為のヒントを日本が与えたという事ができるかもし れません。このテロに対してアメリカ大統領ブッシュさんは、「報復する」と宣言しました。そして、この報復行為は「正義の戦争」であるとも主張していま す。
私たちの日常生活にも同じような事があります。いじめられたら倍にしていじめ返せ、殴られたら倍にして殴りかえせ、等です。やられたら 何倍にしてもやりかえせという発想です。時々、聖書に少し触れた程度で聖書をあたかも知っているかのように振る舞う人がいます。そのような人の中には「目 には目を歯には歯を」とあるから「やられたらやりかえせ」というのは当然だ、と主張する人がいます。これは、大きな間違いです。イエスは、
『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい(マタイの福音書5章38節〜39節)
と言われました。「やられたらやりかえせ」という考え方は止めなさいと言われているのです。そして、
しかし、私はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(マタイの福音書5章44節)
とも言われます。復讐、報復ではなく、敵を愛し祈れと言うのです。
復讐や報復からは何も良いものは生まれません。復讐や報復からは憎しみだけが残ります。まして、戦争に正義は存在しません。戦争は人の 命を奪い、あらゆるものを破壊します。聖書は「正しい裁きをなさる神に委ねなさい」と言います。一切の出来事を、正しい裁きをする神に任せるのです。神 は、間違いのない行司です。
そんな事はきれい事だ、と言う人の声が聞こえて来るようです。しかし、そうではありません。
無罪であるイエス・キリストは十字架上で、人々に「おまえが神の子なら十字架から降りてみよ」と馬鹿にされ笑われたのです。また、唾をかけられ石をぶつけ られたのです。その時、イエス・キリストは十字架上で「父よ彼らを赦したまえ。彼らは何をしているかわからないのです」と彼らを愛し、彼らのために祈った のです。そこから、神の愛と罪の赦しが、新しい命が流れたのです。そして、神と人間の和解と平和が始まったのです。
みなさん! 復讐や報復からは人間の憎しみ、虚しさ、惨めさ、罪深さしか生まれません。良いものは何も生まれないのです。良いものは愛と祈りから生まれます。このような愛と祈りと赦しにあなたも生きたいと思いませんか。