人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(箴言16章25節)
ニューヨーク世界貿易センタービル破壊テロ事件が起きて以来、よく耳にする言葉があります。それは、「正義」という言葉です。報道を見 聞きすると、アメリカ政府は自分達が「正義」であると主張します。しかしイスラム原理主義もまた、「自分達が正義でありアメリカこそテロリストである」
と主張しています。正義と正義の戦いです。正義という言葉から来るイメージは「まっすぐな道」「間違いのない道」ということですが彼らの「正義」は人々を殺し、社会を破壊し傷つける正義です。まるで、正義とは破壊する力であるかのようです。
高速道路には、まっすぐな道があります。その道を猛スピードで走り抜けようとする若者たちがいます。その結果として交通事故を起こし、 重症もしくは死亡という人生の惨事を経験する人々が後を絶ちません。人生行路を走るのは若い人ばかりではありません。そこにはベテランの教師、親、経営 者、役人、カウンセラーなどの人々も、それぞれが自分の「正義の道」を走っています。その「正義」の道に隠れて、家庭の問題、人間関係の問題、仕事などの 問題などで死への道を突っ走っている方が少なくありません。そのような事を毎日のように見聞きするのは私だけでしょうか。人の目にはまっすぐに広々と見え るような人生の道でも、実はそうではない滅びの道があるのです。
ある時、先輩の牧師が彼の教会の周辺を案内して下さいました。そこに立ち並ぶのは、どれもこれも立派な家です。立派な門構え、立派な 庭、立派なテラス、どれをとっても高級な建物です。どんな人が住んでいるか、と想像したくなるような建物ばかりです。しかしその先輩の牧師はおっしゃいま した。「建物はどれも人がうらやむような立派な家です。人生の成功者は誰であるのか、まるであの家が証明しているかのように見えます。しかし、実は多くの 問題を抱え家庭が崩壊しそうな家が多いのです」まっすぐな道と思いまっしぐらに走ってきたその道が、本当は滅び(破壊)の道だったという事です。
赤外線写真は人間の目に見えない姿がとらえられると言います。私たちには、自分の姿を見る目、神を見る目が必要なのです。私たちは、神 を見、み心をのぞく事が出来るような心を自分のものにしたいものです。神の前にへりくだり祈れる心、神の前に立ち止まる心があると命の道が見えて来るので す。
人間は未来の事を計画し考えます。未来の事はわかっているし、自分でコントロールできると思い込みやすい者です。しかし、人間は未来を 一日たりとも所有していません。未来の本当の所有者は神です。神がその日その日、一日一日を私たちに与えて下さるのです。それどころか、神はご自分のみ心 のままに、自分のペースでこれを授けて下さいます。私たちには、目に見える姿や外側だけで物事を判断せず、神のみ心をのぞき見て、神に従って歩むことが大 切なのです。
人間の目は罪のために曇っています。罪とは、道徳的倫理的罪を言っているのではありません。罪とはギリシャ語で「ハマルテア」です。こ れは、「的はずれ」の意味です。神を無視する自分勝手な生き方が的はずれです。これが、根本的な罪なのです。イエス・キリストの十字架の血潮で罪を洗い聖 めていただき、曇りを取り去って、神と共に人の本当に生きるべき道を歩みたいものです。アメリカの正義、イスラム原理主義者の正義、日本の正義、あるいは 私とあなたの正義は国家と国家、人間と人間の戦争を巻き起こし人々を傷つけ殺します。人間の正義は所詮、罪に罪を重ねるのです。破壊に破壊を繰り返すので す。
本当の正義である十字架の正義が貫かれる所に、赦しと平和(シャローム)が訪れるのです。