こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。そして「やすかれ」と言われた。 (ルカの福音書24章36節)

昨年のテロ事件以来、過去の歴史にない世界戦争の形になったといわれるようになりました。また、同時に世界平和が叫ばれ国際援助と協力 ということが大きなテーマになってきました。人々が平和を求める心ほど大切なものはありません。私たちは、争いの世界、戦いの世界に住んでいます。

ある歴史学者は「人類の歴史は本来戦争の歴史である」と言いました。戦争という言葉からは、科学武装した兵士、最新鋭の武器、高性能な 飛行機など近代科学を駆使した武器をもって人々を殺戮の世界へ導き、絶望と悲劇をもたらす、ということが連想されます。今回の外務大臣更迭問題を背景にし た問題は醜いものです。平和を願い共に協力し助けあう会議の裏側で、国家権力が弱者や平和を踏みつぶした出来事です。良心があるのかと問いたくなる姿で す。平和という言葉の裏側に、人間の権力、名誉欲が見え隠れします。どのように「人々を愛するか」ということよりも、どのように「立場と組織を守るか」が 優先する姿に真実はありません。真実よりも立場と権力が真実となってしまう世界に、国民は失望し絶望しています。力と力による平和は本当の平和ではありま せん。

私たち日常生活はどうでしょうか。家庭、友人関係、会社、さまざまな世界で争いが生じています。兄弟同士で相続を巡って争う姿も一向に 絶えません。「兄弟姉妹の愛情は、遺言裁判までつづく」という古い諺があります。考えさせる言葉です。私たちは、武器を持って戦うことはしません。しか し、言葉という武器を持って人と争うのです。その言葉をもって、人を妬み、恨み、ののしるのです。ある者は、言葉には出しませんが心の中で人を殺します。

イエス様の弟子たちは十字架の下から逃げて行った人々です。誰が一番偉いか、争っていた人々です。すぐに喧嘩してしまうような気の短い 人々です。常に人と争い仲間と争うような弟子たちに、イエス様は「安かれ」とおっしゃいました。私たちは皆、私たちの心に平和を与えて下さるキリストが本 当に必要なのです。また、私にはキリストが必要であると心から思える者は幸いです。イエス様は言われました。

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイの福音書5章4節)