3月29日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約3月29日「十字架のイエス」
ヨハネによる福音書19章17~30

主 イエスの生涯は33年でした。その生涯は誕生の時から悲しみのうちにありました。ヨハネの福音書1章11節に「この方はご自分の国に来られたのにご自分の 民は受け入れなかった」とあります。主イエスは馬小屋の飼い葉桶でうまれました。その誕生を民は喜ばないばかりか、拒否しました。しかしその民も、主が 人々を癒し、悪霊を追い出す等の奇跡を見聞きすると、主を追いかけるようになりました。しかしその彼らがやがて主を捨て、十字架につけたのです。

主 は宗教裁判と司法裁判、二つの裁判にかけられました。司法裁判の裁判官であった総督ピラトは、宗教裁判の裁判官であった律法学者たちに対して、主イエスに は何の罪も認められないことを宣言しました。ところが民は「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだのです。ユダヤ人も同じように叫びました。民を恐れ たピラトは「さぁ、あなたがたの王だ」と言って、主イエスを民に引き渡しました。

主は頭にいばらの冠をかぶせられ、背中を鞭打たれた後、 ゴルゴタの丘で十字架につけられました。十字架の上には「ユダヤ人の王 ナザレ人イエス」という「罪状書き」が釘付けされました。それはヘブル語(聖書の 言葉)、ギリシア語(文化の言葉)、ラテン語(国家の言葉)で書かれていました。これは主イエスこそ、聖書、文化、国家を統べる全世界の王、人類の王であ るという宣言です。

ヨハネによる福音書21章11節に、ペテロが船にあがって、網を引き上げた、と書いてあります。その網は破れませんでした。十字架は私たちを引き上げる破れない網なのです。この網こそが教会であり、網の中に在るものが神の民なのです。
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今週が桜の見頃かと踏んでいたのですが、もうすっかり葉桜になってしまいました。でも葉桜も風情があって好きです。皆様、よいイースターをお過ごし下さいませ。

それではまたいずれ。主にありて。
マロでした。( ・ิω・ิ )/