4月5日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約4月5日「復活の信仰とは」
ヨハネによる福音書20章1~18

今から52年前、「人は死んだらどうなるのか」という本が出版されました。このタイトルは私たち人間の究極的な問いではないでしょうか。

主イエスは十字架で死に、墓に葬られ、死の殻を打ち破ってよみがえって下さいました。この復活のできごとについて、ある人々は「神話である」といい、またある人々は「弟子たちがそう思い込んだだけだ」と言います。

パ ウロは復活のことを「メタモル・フォーセー」という生物学用語を用いて表現しています。英語で言えば「metamorphose 」、即ち「変態」です。幼虫が成虫に変化することを意味する言葉です。パウロは主の復活を、セミやトンボなどが蛹から殻を破って成虫になるイメージと重ね 合わせたのです。

この復活の主を見た人々について、この20章には語られています。週の初めの朝、マグダラのマリアがまだ暗いうちに、主 が葬られた墓に香油を塗るためにでかけました。すると、墓の蓋になっていたはずの大石が転がって除かれてありました。マリアは驚いて、ペテロとヨハネのと ころに走って伝えました。それをきいたペテロとヨハネは、これまた走ってその墓に向かいました。ヨハネが先に着いて、墓の入り口から中を覗き込み、空に なった亜麻布を見ました。当時はまだ棺桶などはなく、人の亡骸は亜麻布に包んで墓に入れていたのでした。その後にペテロが着きましたが、彼はおっちょこ ちょいでせっかちであったので、墓の中の様子を見ることなく、まっすぐに墓の中に入ってしまいました。そして、亜麻布が頭と体の部分に分かれているのを見 ました。それでペテロもヨハネも主の復活を確信しました。

マグダラのマリアは、主の亡骸が誰かに盗まれたのだと思い、墓を覗き込みながら 泣いていました。そのマリアに、天使が「誰を捜しているのか」と語りかけました。そして、復活の主も同じようにマリアに「誰を捜しているのか」と語りかけ ました。マリアは振り向いて、それが主であることを確信しました。マリアは復活の主を見、声を聞いて信じたのです。他の弟子たちも、復活の主の傷跡を見て 信じました。とりわけトマスは、その傷に触れて信じました。

復活の信仰に必要なのは「証明」ではなく、弟子たちの「証言」です。
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春になったと思ったら急に寒くなったり、雨が降ったり。上馬の教会員も体調を崩した人がいくらかいたようでした。皆様もどうか体を大切に。今週はいよいよ春本番がやってくるそうですよ。

それではまたいずれ。主にありて。
マロでした。( ・ิω・ิ )/