3月8日の主実礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約3月8日「これこそ福音」
創世記38章:24~30

37 章からヨセフの物語が始まりましたが、この38章はヨセフではなくユダの堕落の物語が描かれています。39章には再びヨセフの物語に戻ります。なぜヨセフ 物語の間にわざわざユダの物語が挿入されたのでしょう。そこに創世記の著者であるモーセの隠れたメッセージがあります。

38章は「そのこ ろのことであった」と始まります。「そのころ」とはヨセフが17歳の頃です。ユダは他の兄弟たちから離れて、アドラムの平地で暮らしていました。ユダは、 アブラハム、イサク、ヤコブの土地と霊的伝統を捨てたということです。彼は本来いるべきエフライムの地を離れ、アドラムに来て、カナン人の娘シュアと結婚 し、異教とその文化を受け入れてしまいました。ユダには自分たちにもともと与えられていたエフライムでの暮らしよりも、アドラムの人々の暮らしの方が楽し そうに見えたのです。

ユダには3人の子どもが与えられました。長男エルはタマルと結婚しましたが、主の前に悪を行ったために殺されてしま いました。そのためレビナート制度(兄の未亡人を弟がめとって、子孫を残す制度)によって次男オナンがタマルと結婚しましたが、彼も主に与えられた義務を 果たさなかったために殺されてしまいました。長男と次男を失ったユダは、理不尽にもその責任をタマルに押し付け、三男が」結婚にふさわしい歳になるまで、 実家での謹慎を命じました。

年月が経って、ユダの妻が死ぬと、ユダはアドラムからティナムに移住しました。そこはエフライムからさらに離 れた場所です。エフライムからアドラム、アドラムからティナムとユダが移住していく姿は、彼が主からどんどん離れていくことの象徴です。私たちにもそれぞ れ「いるべき場所」があります。「居場所がない」「居場所から離れる」ということは、人を不安定にさせます。ユダも決して自分がアブラハムの子孫であるこ とを忘れたわけではありません。しかし、いるべき場所から離れてしまった故に、心が不安定になり信仰が揺らいでしまいました。そして、異教徒であるバアル 教の文化に染まり、次第に奔放な生活を送るようになりました。

ユダは遊女の姿に化けたタマルと関係を結んでしまいました。タマルは妊娠 し、双子を産みました。この双子の子孫がユダヤ人です。つまりユダヤ人とはユダとタマルの不貞行為の結果の民族です。ユダヤ人とは確かにアブラハムの子孫 ではありますが、ユダによって堕落した民の子孫なのです。しかし、一方でマタイ福音書の1章を見ると、このユダとタマルの行為はイエス=キリストに至る血 統にしっかりと組み込まれています。不貞の罪を福音へと結びつける、ここに大きな赦しと恵みがあるのです。

マタイ書に記されているキリストへの血統にはタマルだけでなく、ラハブ、ルツ、バテシェバなど、
異教徒や不貞の血が含まれています。このことが大いなる福音なのです。なぜならこのことによって、救いはユダヤ人以外の異邦人にも与えられ、また、罪人にも与えられることが明らかに示されているからです。

救いの物語に挟み込まれる罪の物語。救いは罪を包み込む。ヨセフ物語の中に、1章だけ突然このユダの物語が挟み込まれるというのはこのことを象徴しており、それがモーセによる隠れた私たちへのメッセージなのです。闇は決して光に打ち勝たない。これこそが福音なのです。
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今日のはちょっと要約するのに難儀しました。
少しでも分かりやすく伝わっていればいいのですが。
ではまたいずれ。マロでした。( ・ิω・ิ )/