3月1日の主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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3月1日「目に見えない神の御手」
創世記 37章12~36節

今 日の箇所にはヨセフの人生が最悪の状態へと向かっていく過程が描かれていますが、そこから私たちは、最悪の状況の中でも目に見えない神の守りが私たちの人 生に及んでいるということを学ぶことができます。また、ここで描かれている兄たちの姿は私たち自身の罪の姿でもあります。人は心の中に怒りを溜める存在で す。その怒りが適切に解消されないと、ここに描かれているような悲劇が起こることとなります。しかし神はその悲劇さえも最終的には栄光への伏線として下さ います。

ヨセフの兄たちはヨセフを憎んでいました。ヨセフが末子であるにも関わらず父ヤコブの寵愛を一身に受けて後継者とされていたこと や、ヨセフがあまりに正直すぎたことが原因でした。兄たちは父ヤコブの羊の世話をするためにシュケムという場所に行きました。そこは以前に彼らのうち、レ ビとシメオンがその土地の男子たちを皆殺しにする事件を起こした場所でした。そのためヤコブは彼らが現地の人から報復を受けるのではないかと心配になり、 彼らの安否を確認するためにヨセフを使いに出しました。ヨセフは素直に「はい」と応じて出かけていきました。ヤコブもヨセフも、彼らがヨセフに対して抱い ている憎しみの感情に気づいていませんでした。

ヨセフはシュケムに着いて兄たちを捜し、彼らがすでにドタンという地に向かったことを知り、後を追いました。なぜ兄たちがドタンに向かったのかは聖書には書かれていません。しかしこのことも後に書くように、ヨセフへの守りの一つでありました。

ド タンの地で、兄たちは遠くからやってくるヨセフを見つけました。遠くからでも兄たちからはそれがヨセフであると分かりました。なぜならヨセフが後継者の証 である長袖の服を着ていたからです。後継者の権利を見せびらかされたように思った兄たちの憎しみに火がつきました。彼らはヨセフを殺す算段を始めました。 そして、彼を穴に投げ込み獣に食い殺させよう、ということに決めました。それは直接自分たちが手を下して良心が傷むのを避けるためでした。獣に殺させれば 「自分たちは穴に落としただけだ」と思うことができます。人は悪時を行う時、その仕事を分担してシステム化すると良心の呵責に苛まれずにすむということが 心理学的にも解明されています。そして実際に人はそのようにして悪時を行う傾向を持っています。

しかし、その計画を聞いて、長男のルベン は心を痛めました。ルベンは長男なので本来であれば後継者の第一候補であった人ですから、兄弟たちの中でも最もヨセフを憎んでいたはずです。しかし彼は悔 い改めてその憎しみの情を既に捨て去っていました。彼はヨセフを助けてヤコブのところに返すために、ヨセフを別の穴に投げ込むことを提案し、了解されまし た。その穴には水が溜まっていなかったのでヨセフの命は助かりました。これは偶然ではありません。神の守りです。穴に水がなかったこと、ルベンが既に悔い 改めていたこと、それらは神様がヨセフを守るために備えておいた伏線であったのです。その伏線はもちろん目に見えるものではありませんが、確実にヨセフを 死から救い出しました。

また、ヨセフが兄たちに追いついたのがシュケムではなく「キャラバンの町」と言われたドタンであったというのも神 の守りでした。そのため、ヨセフはキャラバンに売られてエジプトの奴隷となりました。キャラバンが来なければ、いくらルベンがヨセフを助けようと言って も、ヨセフは殺されたかも知れません。キャラバンが来たから「ただ殺すよりも売っていくらかお金をもらった方がいい」ということになり、ヨセフの命は助 かったのです。奴隷となること自体は非常に不幸な状況ですが、「殺される」という、最悪の事態からは守られました。しかもこの「奴隷になる」という、一見 非常に不幸な事態が、後のヨセフを大きく引き上げる伏線となったのです。キャラバンに売られなければこの後に起こる「ヨセフの物語」は何も始まりません。 神様はヨセフの人生を「最悪の状況」に落としながらも、ちゃんとその状況を後の栄光の伏線として下さっていたのです。

私たちの人生にも同 じことが起こります。苦難の中にあっても目に見えない神の守りはちゃんとそこにあるのです。ヨセフはキャラバンに売られる時、憐れみを乞いました。神はそ の時はその乞いを無視し、沈黙していたように見えました。しかしちゃんとその乞いは聴かれていたのです。私たちの祈りも時として神様から無視されているよ うに思えるときがあります。しかし神様はちゃんとその祈りを聴いておられ、ちゃんと今の状況を後の伏線として下さいます。その「神の見えざる守り」を信じ て歩んでいきたいと思います。今は見えざる手かもしれません。しかし、その見えざる手はいつでも私たちを守り続けて下さっているということを忘れないで下 さい。

☆今日のポイント
・兄たちの罪の姿は私たちが罪を犯すときの姿の鏡である。
・神は時に悲劇を、後の栄光の伏線となさる。
・その場では目に見えなくともヨセフにはちゃんと神の守りが与えられていて、
それは私たち一人一人にも与えられている。
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ちゃんと要約できたでしょうか。いつもちょっと不安はあります。
少しでも皆様の心に届くといいなーと思っています。

それではまたいずれ。主にありて。
マロでした( ・ิω・ิ )/。