8月28日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約8月28日「恵みによって」
ローマ4:13~17

私 たちは教会に来ると「恵み」という言葉を良く耳にします。この言葉はクリスチャン同士での「口封じ」に使われてしまう場合もありますから、注意して健全に 用いるようにしたいものです。さて、16節に「恵みによって」とあります。今回はこの言から聖書のメッセージを受け取りたいとおもいます。

ク リスチャンに限らず、聖書を人生の糧を得るための人生の一冊の書としている人は少なくありません。しかし、聖書の言から真に恵みを受け取ること、人生の命 を得ることはクリスチャンにしかできません。そこが聖書の他の書物と根本的に異なる点であり、聖書が聖書たるゆえんです。故に私たちクリスチャンには、心 して、静かに聖書を読み、祈り、主と交わり、神の語りかける言を聴く力と態度が求められるということです。聖書は恵みに始まり、恵みに終わります。その一 切が恵みなのです。

パウロは「恵みによって始まり、恵みで終わるとはどういうことか」をアブラハムの生涯を例にとって語っています。アブ ラハムが義とされ、救いの恵みに与ったことは創世記15:5に記録されています。神はアブラハムを外に連れ出し「あなたの子孫は天の星のようになる」と子 孫繁栄を約束しました。この約束は三回もアブラハムに語られました。最初は創世記18:18、ソドムとゴモラの出来事のとき、二回目は22:17の愛する 一人息子イサクを生贄として捧げた出来事のとき、3回目の22:18で、この時は子孫繁栄の約束の理由が語られました。アブラハムの生涯は決して順風満帆 ではなく、失敗と挫折の連続でありました。しかし、その中で彼はひたすら神に忠実に従いました。聖書には「信仰がなくては神に喜ばれません」と書いてあり ます。神はアブラハムの行動でなく、信仰を喜んだのです。こうして、信仰によりアブラハムは恵みを受けて支えられました。

ユダヤ人たちは この、信仰による義認を受け入れることができませんでした。どうしても自分たちの血統と律法を救いの根拠とする考えから脱することができませんでした。そ れでパウロは、彼らの尊敬するアブラハムを例に出して、律法ではなく信仰こそ救いの中心であるとユダヤ人たちに語ったのです。

信仰の視点から物事を見る世界は恵みに満ちています。
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TED という映画を観たのです。クマのぬいぐるみが命を与えられて少年と友情を育む・・・と言えば聞こえは良いのですが、このクマのぬいぐるみがずいぶんと生活 態度と口の悪い奴でして・・・というお話。なんだか、アダムに神様が息を吹き込んだシーンを思い出してしまいました。土に命を与えてはみたものの、ずいぶ んと罪深い奴でして・・・と。しかしそれでもね、TEDがどこか愛らしいように、人間も神様に愛されてるんですね、きっと。
それではまたいずれ。主にありて。