5月15日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約5月15日「権勢によらず、能力によらずわが霊による」
使徒2:1~8

全 世界の教会が、今日はペンテコステの喜びに与り、礼拝を捧げています。ペンテコステとは「教会の誕生日」にあたります。祈っていた主イエスの弟子たちのと ころに、天から激しい風が吹いてくるような響きが起こり、家全体に響き渡りました。6節には「この物音が起こると、大勢の人々が集まってきた」と書いてあ ります。このことはペンテコステ、聖霊降臨、教会の誕生の出来事は、大勢の人々が視覚的・聴覚的に経験し、証言できる状態で起こった、ということを示しま す。こうして教会は聖霊の賜物(ギフト)として、また聖霊の実として、公に、私たちに与えられたのです。教会は決して弟子たちの計画によって誕生したもの ではなく、神から直接に与えられた共同体なのです。

次に聖霊は弟子たちの上に「炎のように分かれた舌が現れ、ひとりひとりの上にとどまっ た」という現象を起こしました。この「分かれた」はギリシャ語で「分配」という意味の語です。「舌」は「言葉、言語」という意味の語です。弟子たちは聖霊 に満たされ、御霊が話させて下さるとおりに、他国の言葉で話し始めました。

この一連の出来事が起こったのは朝の9時頃です。この時間は 人々が祈りにあてる時間でした。どのような人々がこのとき、祈っていたのでしょう。この出来事は五旬節に起こりました。五旬節とは「七週目の祭り」のこと で、別名「小麦の初穂を捧げ神に感謝する日」です。主イエスの十字架の出来事の後、エルサレムが最も賑わう日です。この祭りのためにユダヤの人々はエルサ レム神殿に向かって巡礼の旅をします。また5節には「エルサレムには経験なユダヤ人たちが住んでいた」と書いてあります。そんな敬虔なユダヤ人たちがこの 日、祈りを捧げており、聖霊に満たされた弟子たちが語る他国の言葉を聞いて驚き怪しんだのです。「彼らは甘い葡萄酒に酔っているのだ」とさえ思いました。 彼らは「この人たちはみな、ガリラヤの人ではありませんか」と呆れました。ガリラヤはユダヤ人たちにとって忌み嫌われた場所でありました。弟子たちはみな ガリラヤの出身で、無学で社会的地位もありませんでした。彼らは権勢でもなく、能力でもなく、神の霊によってのみ、用いられ活かされたのです。私たちもま た、権勢でも能力でもなく、弟子たちと同じように聖霊によって用いられ、生かされるのです。
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近 頃、仕事でお坊さんのお悩み相談を受けたりします。お坊さんにとってクリスチャンってある意味で相談しやすい相手みたいです。信徒さんに弱みを見せるわけ にもいかないし、お坊さん同士でもちょっと話しにくい・・・ということもあるようで。お坊さんたちによく言われます「クリスチャンって強いですね」。お寺 や神社は、神仏のために人が建てたもの。しかし教会は、今回の説教にあるように、人のために神様が建てたものです。信仰の立脚する根拠が違うのです。その 違いを証ししていくことも、特にこの日本では、一つの伝道のあり方なのかな、なんて思います。
それではまたいずれ。主にありて。