4月24日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
—————————————
説教要約4月24日「信仰から信仰へ」
ローマ1:16~17

今 日の説教タイトルは17節の「信仰に始まり信仰に進ませるからです」という一文からとったものです。実はこの一文は解釈について様々な節があり、難しい箇 所であるとされています。ルターもここの解釈については苦心したようです。しかしルターはまさにこの一文から「福音の再発見」をし、宗教改革のために立ち 上がったのです。ルターのこの発見は「神の愛の再発見」と言い換えることができます。ルターはローマカトリック教会の教義に従い、功徳を積むことによって 救われるということに忠実でした。実際、その教義に従ってルターは修道院の階段を膝をついて上り下りしていました。しかしそんな時、「義人は信仰によって 生きる」という言がルターを捉えました。そしてルターは立ち上がりました。

パウロもまたルターと同じように、律法を守ることによって救わ れると信じ、それを守ることについては非の打ち所がありませんでした。しかし、律法によっては彼は救いの恵みに与ることはありませんでした。パウロはダマ スコ途上で復活の主に打たれることで救われたのです。そして「義人は信仰によって生きる」ことを確信しました。この言は新共同約聖書では「正しい者は信仰 によって生きる」となっています。ヘブル語から直訳すれば「義人は彼の信仰によって生きる」です。ヘブル語では「信仰」は「真実」と同じ言葉です。故にこ れは「義人は神の真実によって生きる」と読み替えることができます。神学的に読めば「義人は三位一体の神の真実によって生きる」と言い換えることができま す。この神の真実は、イエス・キリストによって私たちのところにやってきたのです。

パウロはコリント人への手紙第一13章13節で「いつ までも残るものは信仰と希望と愛です」と言います。パウロはダマスコ途上の経験を通じて、人間は真実に生きることも、希望を持ち続けることも、愛し続ける こともできないと知ったのです。ダマスコ途上において、人間の真実は神の真実に打ち砕かれたのです。そのパウロが「私たちは真実でなくても、彼は常に真実 である」と言います。私たちは神の真実を支えに生きるとき、信仰から信仰へと成長してゆくのです。
—————————————
世界中の教会がポケモン対策に追われていますが、中でもこれは素敵だ、と思わされた写真がありました。

「あ なたがミュウツーです」というメッセージ。主は私たちがポケモンを探すよりもはるかに熱心に私たち一人一人をいつも探し求めています。しかも主にとって私 たちは一人一人がミュウツー(伝説のポケモン)並の貴重なものなのです。ポケモンを探すのも楽しいですが、主に自分が見つけていただくことはもっと素晴ら しいことだと思いました。
それではまたいずれ。主にありて。