4月10日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約4月10日「愛の負債」
ローマ1:8~15
パ ウロは感謝の人、祈りの人、使命の人です。特に、パウロは使命を持って生きた器でした。その使命感はどこから来たのでしょう。パウロは自分が異邦人の使徒 であり、負債を負ったものであるという自己認識を持っていました。「異邦人の使徒」ということについては13節にでてきます。パウロはここで「兄弟たち よ」と親しく呼びかけ、「このことを知らずにいてもらいたくない」と言っています。これは、ローマ教会に何度も訪問したいと祈り続けてきたにも関わらず、 何度も妨げられてきたことを知らずにいてもらいたくない、と言っているのです。
パウロのローマ訪問を妨げたのはサタンです。パウロはかつ てテサロニケ教会にも訪問を計画しましたが、その時も一度ならず二度までもサタンに妨げられました。今またローマ教会に訪問にあっても、同じことが起こっ たのです。パウロはローマ教会を訪問したかったのですが、別の仕事がありました。その仕事とは、異邦人の教会から献金を集めてエルサレムに運ぶ仕事でし た。パウロが優先すべきは霊的な仕事、教会の仕事でありました。パウロの希望はローマ教会への訪問で下が、他に今すべき霊的な仕事があったのです。これが 信仰の成長した人のあるべき姿です。霊的に成長した人は霊的な仕事を第一とします。
パウロがローマ教会を訪問しようとしていた目的は「い くらかの実を得ようと思った」ということです。それは、恵みと賜物を分かち合うということです。パウロは、ダマスコ途上で復活の主に打たれた後、アナニヤ から「異邦人伝道のために召された(使徒9:15)」ことを告げられたのです。そしてパウロはその告知を受けてローマ世界に福音を宣べ伝え、残すところは 現在のスペインの地だけとなりました。それだけにローマ教会訪問への思いは強いものでありました。
パウロの心の中には「返さなければならない負債を負っている」という自覚がありました。それは、復活の主イエスの愛と赦しを受け、直接特別な啓示を受けた恵みへの感謝を返すということです。ユダヤ人も含め、すべての人々にです。
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10 年くらい前に「パッション」という映画がありましたよね。原題は「Passion of the Christ」なのにどうして邦題は「パッション」だけになってしまったのでしょう。まぁ、題はともかく、この映画を観たとき「この苦しみは本来は僕が受 けなくてはいけなかったのに、イエス様が代わりにこんな目にあってくれたのか」と思いました。それが「負債」ということなんですかね。今回の説教でそんな ことを思い出しました。
それではまたいずれ。主にありて。