2月21日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約2月21日「パウロという人間」
ローマ1:1
テ サロニケ人への手紙の説教を終え、今週からローマ人への手紙についての説教になります。ローマ人への手紙は、現代でいうところの回覧板のようなものでし た。ローマには一つの大きな「ローマ教会」があったのではなく、たくさんの小さな「家の教会」がありました。そのうちの一つの教会がパウロからの手紙を受 け取り、教会から教会へと回覧板のようにそれを渡し次いで、ローマの人々はそれを読んだのでした。
ところで、パウロとはどのような人で しょうか。人にはそれぞれ個性や特徴があります。私たちにとっておなじみのペテロはおっちょこちょいな人ですし、ヨハネは観察力の優れた人でした。パウロ と言えば、外面的には「優れた神学者」であり、キリスト教最大の伝道者です。しかし、その前半生はむしろ最大のクリスチャン迫害者でありました。パウロの 生年月日は今となっては分かりませんが、年齢は主イエスと同世代だったのではないかと言われています。キリキヤのタルソの裕福な家庭で生まれ育ちました。 非常に高等な教育を受け、青年期にはギリシア語を習得し、ギリシア思想に造詣がありました。さらにガマリエルという人の門下生になり、パリサイ人としての 教育を受け、律法の専門家として、多くの人を指導する立場になりました。「パリサイ」とは「分離」という意味です。パリサイ人たちは自分たちを、世の人々 とは違う聖なる生き方をしている「分離」された者であると自認していました。その中でパウロは律法を守るということについて「非の打ち所のないほど」で あったと言います。パリサイ人の中でもエリートだったのです。彼は律法に対して徹底した生き方を実践していたのでした。
日本語でこの「徹 底」という言葉を調べると、肯定的・積極的な用法と、「どん底」というような否定的な用法があることが分かりますが、パウロはそのどちらの意味においても 文字通り「徹底」した器でした。その両面を体験した器でした。彼はクリスチャンを迫害する立場として、クリスチャンを縛り上げてダマスコに連行する道中 で、復活の主の顕現に触れ、打たれました。パウロ自身、自分が「神に敵対していた」と告白しています。神に敵対していたパウロが神様との関係を回復できた のは、主イエスの一方的な愛と赦しによるものです。それは神の聖性によって、人間の聖性が打ち砕かれたということです。
パウロは神の福音のために神に選ばれ、召され、使徒となりました。これが後半生のパウロの自己認識です。私たちも同じように、神に選ばれ、召された者としての自己認識を持って歩みたいものです。
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梅雨に入ったというのにこの説教要約はまだ2月です。ほんとすみません。更新ペースを上げなくては。
それではまたいずれ。主にありて。