1月17日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約1月17日「基準を超えた成長」
IIテサロニケ1:1~4

テ サロニケ人への第一の手紙が著されたのは西暦50年とされています。それから1年後の西暦51年に著されたのがこの第二の手紙です。テサロニケ教会が迫害 と困難の中で、戦いながら目に見えて成長を遂げ、互いに愛し合っているという知らせを受けて、パウロはこの手紙を記しました。この手紙の一章でパウロは教 会への励ましを語り、二章では教理的に正しい福音について語っています。当時のテサロニケでは教理的に誤った福音理解が広まりつつあったからです。そして 三章では放縦な生活をしている者たちに生活を正すように書きました。

テサロニケ教会はパウロが三週間の伝道で起こした教会です。その教会 が目に見えて成長したのはパウロにとって大きな喜びでした。それは現代の牧師の喜びでもあります。人間の成長には身体的成長と精神的成長があります。各々 の発達段階での課題をいかにクリアしつつ成長するかは人間の成長にとって大切なことです。課題をクリアしないままに成長してしまうと、後々になって様々な 問題が生じたりします。クリスチャンの成長には、上記の身体的・精神的成長に加えて、3つ目の霊的成長という軸があります。

テサロニケ教 会は「信仰が目に見えて成長した」教会です。これは教会が霊的な成長をしたことを示しています。その理由については「あなたがたがすべての迫害と艱難に耐 えながらその従順と信仰を保っている」からである、とパウロは記しています。その成長の結果「一人一人の相互の愛が増し加わっている」ようになりました。 「目に見えて」とはギリシア語では「水が増して」という意味です。湯船に水を入れるとやがて水が溢れるように、この教会では信仰が成長して愛が溢れたとい うことです。彼らは、迫害と困難の中で信仰の根をしっかりと張り、愛の実を結びました。

私たちはときに困難の中で孤軍奮闘してしまいま す。しかし、テサロニケ教会は困難に対して共同体的に立ち向かいました。そして、教会全体が共同体として成長し、共同体的な愛の実を結んだのでした。私た ちの歩む人生の荒野には様々な困難や戦いがあります。その荒野を自分一人で戦い歩むのではなく、共同体的に歩んでゆくことが共同体的信仰であり、人間の成 長の3つ目の軸、霊的成長はその共同体的信仰の成長なのです。
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昔、 剣道をやっていて、それ以来何ごとを身につけるにせよ「心技体」という三つを意識してきたのですが、信仰というのは確かにそれとは違う別の軸であるように 思えます。家で聖書を読むことと、教会で礼拝に与ることは、これまた似ているようでいて全く違う成長を与えてくれます。

それではまたいずれ。主にありて。