10月11日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約10月11日「牧会者パウロ」
Iテサロニケ2:7~12

牧師の仕事は大変です。説教をしたり礼拝を司るだけではなく、人々の悩みを聴き、苦しみに寄り添わなくてはいけません。休みの日でも何かが起きればすぐに飛び出していかなくてはなりません。牧師の仕事は「仕事」というよりも「使命」であります。主から委ねられた人々に対する責任を全面的に負っているのです。その責任の重さはパウロをして「誰がこの任に耐えられようか」と言わしめたほどです。

牧師は英語で「Pastor」と言い、牧会は「Pastoral Care」と言います。牧師が一人前の牧会者として整えられるには2~30年の歳月が必要です。この期間は神様に徹底的に取り扱われる機関です。高慢が砕かれ、謙虚な者とされる期間です。もちろん学びも大切ですが、それよりもこの「神に取り扱われること」が大切なのです。

パウロの、テサロニケ教会に対する対応は牧会者の姿として模範的と言えるでしょう。パウロは母性的対応と父性的対応を使い分けて牧会を行いました。聖書にはパウロが教会に対して「母がその子供たちを養い育てるように優しくふるまい」(7節)とあります。この「優しくふるまい」を「乳母」と訳す聖書もあります。乳母は実母に代わって、子供にミルクを与えたり養育したりする仕事です。パウロは細やかな配慮をしながら、乳母のように教会の人々を育てたのです。「いのちまでも喜んであなたがたに与えたい」ほどの愛情も注ぎました。これがパウロの牧会の母性的な側面です。一方でパウロは父性的な側面も忘れてはいません。11~12節には「また、ご承知の通り私たちは父がその子供に対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召して下さる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、厳かに命じました」と書いてあります。パウロは教会の人々に、力強く、父なる神の恵みをはっきり示すために、神の恵みに正しく応答し責任を持って生きるように求めました。また、パウロは人々に「練達した働き人になれ」とも勧めました。

パウロは母性的な慈愛と、父性的な厳しさを駆使して牧会を行いました。良き牧会者とはこの両面を上手に使い分けることのできる器のことです。
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二週間ぶりの更新になりました。今日は木枯らし1号が吹いたようですね。いよいよ本格的な秋、そして冬がやってきます。そろそろクリスマスに向けての会議が教会で始まっています。月末のハロウィーンが終わると、世の中も急速にクリスマスムードに突入していくのでしょう、今年も。もうそんな季節です。時の流れは速いものですね。ではまたいずれ。主にありて。マロでした( ・ิω・ิ )/