6月14日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約6月14日「ああ恵み」
創世記43:16~34

人は自分の思いや願いがが叶うと神に感謝します。それはクリスチャンでなくてもそうかもしれません。一歩胃で自分の思いや願いが破れると神を遠ざけます。それはクリスチャンであってもそうかもしれません。しかし、それではいけません。神様は常に私たちを守り、恵みを与えて下さっているのですから、自分の思いとは無関係に私たちは常に神様に感謝すべきなのです。ヘブル人への手紙13章8節に「イエスキリストは昨日も今日もいつまでも同じです」とあります。私たちの状況や状態に関わらず、神様は常に真実であり、その恵みは何も変わらないのです。私たちの願いが叶うときも叶わないときも、いつも変わらず恵みはそこにあり続けているのです。

ヨセフは兄弟達、特にベニヤミンを歓迎するために、料理人に獣を屠り最高の料理を準備するように命じました。現代の社会では社交的に最も重要な食事は夕食ですが、当時のエジプトではそれは昼食でした。現代の感覚で言うとランチ接待はディナー接待に比べて簡素な印象を抱いてしまいますが、この当時は逆であったのです。つまりヨセフはそれこそ「国賓待遇」で兄弟達を歓迎したのです。
しかし兄弟達は「自分たちは奴隷にされるのではないか」「連れてきたロバを奪われるのではないか」と不安や恐れを抱きました。なぜなら、彼らにはかつてヨセフを奴隷として売り払った、という負い目が会ったからです。そこで彼らは彼らを案内していた管理人に弁明しました。弁明を聞いた管理人は「安心しなさい。恐れることはありません」と、すでにすべての代価は支払われているのだから安心して歓迎を受けるように兄弟達に告げました。

この管理人の「安心しなさい」は「シャローム・ラヘン」という言葉です。これは十字架の後に人々を恐れて逃げ惑っていた弟子たちに復活の主が「平安があなたがたにあるように」と仰ったのと同じ言葉です。

私たちはこの兄弟達と同じように、時に神の恵みを誤解して恐れや不安を抱いてしまいます。だから神様はいつも私たちに「安心しなさい。支払いはすでに済んでいる」と私たちを招き続けているのです。恐れや不安には祈りが特効薬です。神様から離れる時、人には恐れや不安が生ずるからです。どうして神様が自分を酷い目に遭わせると考えてしまうのですか。主イエスはいつも「安心しなさい。恐れることはない」と仰っているのに。それを信じないのは神様に対して失礼な生き方です。大きな恵みが目の前にあり、しかもその代価はすでに支払われていて、あとは受け取るだけでいいのです。どうしてそれを受け取らない理由があるでしょう。

それが神の恵みということです。
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7月になりました。梅雨ももう半ばを過ぎてもうすぐ夏が来ますね。未だ2週間遅れの更新が続いていますが、末永くお付き合いいただければ幸いです。
ではまたいずれ。主にありて。マロでした( ・ิω・ิ )/