5月31日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約5月31日「苦しみを通して目指す場所」
創世記42:1~17

苦難の意味というものは昔から様々な分野で論じられ、それについての書物も古今東西たくさんあります。聖書においても、もちろんそれについて語られる箇所があります。その一つがこの創世記42章です。今日はこの箇所から、苦しみを通して目指す場所について聴いてゆきましょう。

この箇所はヨセフと兄弟達の再会が描かれており、そのシーンは45章まで続きます。聖書の他の箇所にも「再会」のシーンはありますが、その多くが要点のみ完結に記されたもので、これほど長く、丁寧に描かれた再会のシーンは他にありません。それだけこの再会には霊的教訓が多いということです。そこでは兄達のエジプトにおける人格的成長をみることができます。そしてユダヤ人がどうしてエジプトに住み、そしてまたそこを出て行かなければならなかったかの原因と背景もそこに語られています。

ヨセフは今、エジプトの言わば「総理大臣」です。17歳からずっと苦しい時代を経て、今、彼は望み得る最高の地位にまで引き上げられました。かつて神が彼に見せた夢が成就したのです。ヨセフは神のその約束と導きを確信して、立ち続けたのでした。

この42章で描かれている時代は、エジプトの飢饉の2年目です。その年に、ヨセフが予想していた通り、兄弟達が食料を求めてやってきました。ヨセフと兄弟達の父ヤコブは、この飢饉にあって、周りの人達がエジプトに食料を求めに出かけていることを見聞きしていました。しかし、息子達は顔を見合わせて右往左往するだけで、出かけようとはしませんでした。そこでヤコブはしびれを切らして「お前達もエジプトに買い出しに行け」と尻を叩いて息子達をエジプトに出かけさせたのでした。

兄弟達はヨセフを伏し拝みました。ヨセフは彼らが自分の兄弟であることを知っていましたが、兄弟達はそれがヨセフだとは知らなかったからです。この時、ヨセフと会った兄弟は10人でした。末弟のベニヤミンだけは父ヤコブの元で留守番をしていました。しかし、ヨセフとしてはこれではいけないと思いました。なぜならかつて神が彼に見せた夢は、11の麦の束がお辞儀をする、という内容だったからです。ですから10人のお辞儀ではダメなのです。11人でなければ。そこでヨセフは兄弟達を試す意味も込めて、わざと怒った態度で「お前達はどこから来たのか」と問うてみせました。兄達は「カナンの地から食料を求めに来ました」と正直に答えましたが、ヨセフはその答えをはねつけて「お前達はスパイだろう」とわざと言いがかりをつけて、末弟のベニヤミンをここに連れてくるように命じました。

兄弟達は、父ヤコブがベニヤミンを非常に可愛がっていること、以前に可愛がられていたヨセフがいなくなってひどく悲しんでいること、この上ベニヤミンまでいなくなったら恐らく生きていられないであろうことを述べて赦しを乞いました。その中で兄弟達がヨセフにかつてした行為を悔やんでいることも語られました。ヨセフはそれを聞いて、隠れた場所で泣きました。この涙は罪人である私たちに対するイエス様の涙でもあります。

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更新が遅れてしまっていてすみません。担当のマロがここ最近、お仕事の都合であんまり礼拝に出られていないのです。もうしばらくそんな状態が続きますが、どうかご容赦下さいませ。近日中に6月7日分もアップしますね、あたふたあたふた。

ではまたいずれ。主にありて。マロでした( ・ิω・ิ )/