5月24日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約5月24日「教会の誕生と宣教」
使徒の働き2:1~4

今日はペンテコステです。ペンテコステはいわば教会の誕生日です。全世界の教会が教会の誕生を祝う礼拝を捧げています。今日はいつもの創世記から離れてペンテコステの出来事について考えてみましょう。

教会はただの建物ではありません。また、弟子たちが企画・設計したものでもありません。父なる神と子なるキリストを通して聖霊が降臨し、この世に教会を生ぜしめたのです。故に教会は神からの賜物であり、天から与えられたミッションそのものなのです。

さて、その教会の誕生はどのようにもたらされたのでしょう。今日の箇所の1節に「五旬節の日になって」と書いてあります。五旬節とは旧約聖書では「七週の祭り」とも呼ばれ、元々は小麦の収穫感謝祭のことです。この祭りは歴史的に見ると3つの意味を持っていました。第一はアブラハム・イサク・ヤコブが契約を更新した日。第二はノアが神様と永遠の契約を立てた日。第三はシナイ山でモーセを通してイスラエル人に律法が与えられた日。この3つに共通していることは「神と神の民との契約」ということです。この祭りが歴史的経緯の中で「七週の祭り」と呼ばれるようになっていました。それはその祭りがイスラエル最大の祭りである過越の祭りから七週目(50日後)に行われたことに由来しています。過越の祭りは出エジプトを記念する祭りです。神の言いつけどおり門に子羊の血を塗った家は神の裁きが通り過ぎ、神の救いに与ることができた、ということを記念する祭りです。一方で神のいいつけを守らず、門に子羊の血を塗らなかった家はすべて長子を神の裁きにより失いました。この過越の祭りの日に主イエスは十字架にかかって下さいました。

十字架とは父なる神の審判と救いが同時に起こった出来事です。この日から50日後に聖霊が下って教会が誕生したのです。聖霊降臨が起こったのは、弟子たちや人々が宿泊していた家の屋上の広場で、120人ほどの集会を行っていた時でした。このとき、弟子たちは熱心にひたすら心を合わせて祈りに専念していました。彼らは悔い改めとともに主イエスの再臨待望と「聖霊を受ける」という約束を信じて祈っていました。一方でそれと同時にユダの代わりの使徒を選ぶ必要もありました。と、言うのは使徒が12人であるのは、イスラエル民族が12部族であることに由来しているので、ユダが抜けて11人のままというわけにはいかなかったからです。新しい神の民として再出発するためには欠員を補充する必要がありました。この欠員は使徒たちはくじでマッテヤを選んで解決しましたが、神はマッテヤではなく、パウロをちゃんと準備していました。

こうして共同体から個々の人々へと聖霊が満たされ、外に派遣されていったのでした。

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今回はいつもの創世記から離れてペンテコステについての説教でした。来週からはまたいつもの創世記のヨセフ物語に戻ります。あ、でもすみません、来週はマロが仕事の事情で教会に行けないので次の説教要約の更新は再来週になります、ごめんなさい。

今日は雨予報だったのに、少なくとも教会の周りはいい天気です。やっぱり日曜日は天気がいいのがいいですよね。
ではまたいずれ。主にありて。マロでした( ・ิω・ิ )/