5月3日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約5月3日「すべてに時がある」
創世記41:1

「すべてに時がある」というみことばから、「伝道者の書」のメッセージを思い浮かべる方も多いかと思います。私たちの日常生活に起こる出来事一つ一つにも時があります。自然界の中にも、政治や経済の中にも、すべてに時があります。事は、神の時が訪れた時に動くのです。

ヨセフの生涯を振り返ってみますと、彼はまず兄たちに裏切られ、エジプトに奴隷として売られ、ポティファルに買われ、ポティファルの妻の悪巧みに遭ってエジプトで最も厳しい監獄に投獄されてしまいました。そんな一番のどん底の環境の中で、献酌官長の夢を解き明かし、ようやくどん底から抜け出せるかと思いきや、献酌官長はヨセフとの約束を忘れてしまいました。それから2年が経ち、ヨセフは30歳になりました。彼は13年間、苦難を味わい続けたのでした。彼の身になって想像してみれば、すべてが嫌になってしまったり、信仰を失ってしまったりしても不思議はありません。しかし、ヨセフはそうはなりませんでした。彼は、彼が若い頃に神様からみせられた二つの夢が必ず成就する事を確信していたのです。それは彼が、アブラハム、イサク、ヤコブの生涯に対して、神様がどのような導きを与えて下さったかを知っていたからです。大切な事は神様の時が来た時に、それがいつであっても対応できるように準備をしておくことです。ヨセフは13年もの間、準備をし続けたのです。詩編105:19に「彼のことばがその通りになる時まで、主のことばは彼を試した」と書いてあります。神様はヨセフの信仰をそのように試したのです。

そしてついに、神の時が到来します。41章でヨセフはなんとエジプトの大統領に任命されます。彼は辱めの極地から、一気に上昇したのです。この当時のエジプトはセム族出身のヒクソス王の時代でした。ヨセフもセム族の出自であり、王と同族であったのでした。そのため、顔立ちなども王と大変似ていたようです。そういった条件も含めて、「神の時がきた」と言えるのでしょう。

イエス様が誕生した時も同じでした。ユダヤはローマ帝国に支配されていました。そしてあらゆる条件が主の救いのために整いました。それを偶然という人もいるかも知れません。しかし神の時はいつもジャストミートなのです。

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担当のマロが仕事で礼拝に出席できなかったりしていたので更新がずいぶん遅れてしまいました。本日は3週分まとめての更新になります。不規則な仕事をしているもので、これからも時々こういう事態が起こってしまいますが、どうかご容赦下さいませ。

それではまたいずれ。主にありて。
マロでした。( ・ิω・ิ )/