4月26日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約4月26日「大人の信仰」
創世記40章5~23

「大人の信仰」と言われて、何を想像しますか?ある人は物事に動じない姿や、熱心に奉仕する姿を想像するかも知れません。今日はヨセフの信仰を通して、この「大人の信仰」について学びたいと思います。

今、 ヨセフはエジプトで最も厳しい監獄の中で生活しています。ヨセフはポティファルから信頼されて、献酌官長と調理官長の世話を任されていました。その二人は 同じ夜に夢を見ました。二人はその夢が神様から与えられたものであることを知っていました。彼らはイライラしていました。エジプトには夢を解き明かすこと ができるとされている人がたくさんいたにも関わらず、彼らの夢の解き明かしは叶わなかったからです。そんな二人の姿をみたヨセフは「それを解き明かすこと は神のなさることではありませんか。さぁ、それを私に話して下さい」と語りかけました。これが「大人の信仰」の一つのありかたです。ただ「私に話して下さ い」と語りかけたのではなく、先に「神のなさること」と神様に栄光を帰したのです。そのようにヨセフは神様の影に隠れるかのように「私に話して下さい」と 語りかけたのです。これが、聖書の語る「謙遜な姿」です。これ以上ない苦難の中にありながら、ヨセフには人に配慮する余裕がありました。このヨセフの姿は 牧会者が手本とすべき在り方です。

そんなヨセフに、まず献酌官長が自分の見た夢を語りました。ヨセフはその夢を見事に解き明かしました。 その様子をみた調理官長も、ヨセフに感心し自分の見た夢を語りました。ヨセフはその夢も解き明かしました。しかし、調理官長に与えられた解き明かしは彼に とって悪い知らせでありました。彼は木で吊るされて殺されるであろう、という解き明かしだったからです。私たちがもしヨセフの立場であったなら、この解き 明かしは彼に告げたくないと思うでしょう。しかしヨセフはそんな内容を彼にストレートに語りました。ここにヨセフの預言者的側面があります。私たちも福音 をストレートに語らなくてはいけません。人間の罪の赦しの十字架、死への勝利としての復活を語らなければいけません。

謙遜に、しかしストレートに。そのような姿勢を保ちつつ、ヨセフは困難の中で神の約束の時を待ちました。そのヨセフの姿に、私たちが学ぶべき「大人の信仰」があります。

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GW まっただ中です。多くの人は連休を楽しんでいるのでしょうか。連休を取れない方はお疲れさまです。僕は暦通りに5連休を取りましたが、残念ながら体調を崩 してしまいました。早く元気になってせっかくの連休、少しでも満喫したいなと思っています。皆様も体には気をつけてお過ごし下さい。

それではまたいずれ。主にありて。
マロでした。( ・ิω・ิ )/