もし私だけが自分のことを証言するなら、私の証言は真実ではありません。私について証言する方が他にあるのです。 (ヨハネの福音書5章31節〜32節)
「神のことはわかるのですが、キリストがわからない。なぜ、イエス・キリストだけが救い主なのか?」 よくこのように言う方がいます、 こうした疑問を持っている人は少なくないのです。ユダヤ人たちもある時、イエスがキリスト、救い主、神の子であるならその証拠を見せろと迫りました。
しかし、イエス・キリストはその詰語に対して、むきになって議論や自己証言をしようとはなさいませんでした。自己証言は証拠にならないと、ご自分でもはっきりここで言っておられます。
33節以下に、ご自分が神の子、キリストであることを証明する四つのことを上げておられます。第一に、バプテスマのヨハネによる証言が あると言っています(33節)。人の証しです。第二に、言葉で納得できない人は、イエス・キリストのなさった多くの業(奇跡)を見なさい、と言っていま す。事実の証しです。第三に、ユダヤ人も尊重し、信頼している聖書を虚心坦懐に読んでみなさい、そうすればわかります、と言っています。聖書の証しです。 この三つの証明以上に大切なものとして「わたしについて証明する方がほかにあるのです」と言って、父なる神ご自身が私たちの心の中になして下さる証明のこ とをいわれています。
ギリシャの哲学者は、「本当の知識は、考えてわかっただけのことではない。本当の知識はあなたをとりこにする感動がある」と言っていま す。復活のイエスがエマオの途上で弟子の心の目を開かれたように、私たちの心の内に神が働いて下さる時に初めて私たちは、とりこにされるような感動をもっ て、キリストが神の子であることを知るのです。
これは、知識として知るのではなく、体験として知るということことです。あなたも、イエス・キリストが今も生きているお方であることを経験しませんか。