私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。(マタイの福音書6章11節)
今年も紅葉の綺麗な季節となりました。紅葉は秋に訪れます。それは葉が枯れて行く過程です。私はその過程を美しいと感じる、人間の感性 の豊かさに感心します。葉が枯れていく過程を人間にあてはめてみると「人生の秋」です。人生の秋を人は美しいと感じるでしょうか。人々はこの時期を老年期 といいます。老年期を第二の人生という人もいます。この時期は、体力、視力、思考力、記憶力などが次第に衰えてゆく時期です。そして、人々は不安になるの です。その不安の中には、経済的問題もあります。その中で、日本の年金制度の崩壊が言われ続けています。
「私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい!」これは、「主の祈り」の祈りの言葉の一部です。私たちは、経済的心配をする前に「日ごと の糧を今日もお与え下さい」と祈ることがあるでしょうか。「日ごとの糧」は命に関わる問題です。私たちの命は何に依存しているのでしょか。政治家でしょう か。会社でしょうか。自分自身の労働でしょうか。この祈りの言葉は、私たちの命は、何に依存しているか?を問う祈りの言葉です。政治家に依存している者 は、政治家に懇願するでしょう。会社に依存している者は、会社に懇願するでしょう。しかし、聖書は、私たちの命は神に依存しているのだから神に懇願するよ うに、と求めているのです。
私が、まだ牧師になり間もない時です。私が赴任した教会には経済力がありませんでした。「日ごとの糧を今日もお与え下さい」と毎日毎日祈りました。やがて、財布も底をついてしまい途方に暮れていた時のことです。「鼻で息をする人間を頼りにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」(イザヤ書2章22節)と 聖書の言葉が私の心を刺したのです。それから、しばらくして突然電話があり「〜学校で講師を必要としている。先生を推薦する人がいるのでどうですか?」と いうことでした。神様の導きと信じてそのお誘いを受けたのです。こうして、日ごとの糧が与えられました。しかし、不思議なこともあるものです。毎月、毎 月、必要なものだけしか与えられないのです。多くもなく少なくもなく本当に必要なものだけです。
このように神様は、神様に信頼し自分の命を委ねる者を養って下さるのです。何の心配もいりません。あなたも、あなたを養って下さるイエスに委ねてみませんか。