説教要約2月26日「全てを益とする神」
ローマ8:28

ローマ書8章は、クリスチャンとはどのような存在であって、どのような生き方をするものなのかを教えてくれます。パウロはここで、人間の「過去・現在・未来」の姿について語っています。人間のその3つの位相は、三位一体の神と重なります。三位一体の神様がリレーをするかのように私たちを導いて下さるのです。

それは即ちこういうことです。
1節から11節には私たちがキリストにより、罪と死の法則から離れたことが書かれています。私たちは過去においては罪と死の法則の中にありましたが、今は主イエスの救いによりその法則から解放され、命と御霊の法則に生きる者とされました。キリストと共に、私たちの内の「古き人」が十字架につけられて、新しく神に導かれた神の相続人としての命が私たちに与えられ、キリストと共に苦難を負う責任を負う者とされたのです。

11~27節には、聖霊が今、私たちに与えられたということが書かれています。キリストと共に負う苦難は、私たちにとって決して小さなものではありません。しかし、その負うべき苦難は、聖霊が共にいて下さって、助けつつ乗り越えさせて下さるのです。

28~30節に書かれているのは、父なる神に関すること、父なる神のクリスチャンに対するご計画です。クリスチャンは自分の人生の主導権を聖霊に明け渡し、聖霊に導かれて生きる者です。聖霊が私たちの人生を導いて下さり、私たちを支え、将来を保証して下さいます。それは始めから、父なる神のご計画であり、その計画はこれから未来に向かって展開してゆくのです。

ローマ書8章のここまでは、このように3つのパート、過去から現在、現在から未来へ、と展開します。そこには子なるキリスト、父なる神、聖霊、即ち三位一体の神が、入れ替わり立ち代わり手を差し伸べてクリスチャンの生涯に関わって下さり、私たちが神の子であることを保証し続けて下さる姿がダイナミックに描かれています。

さて、28節に「神がすべてのことを働かせて益として下さることを私たちは『知っています』」と書かれていますが、この「知って」いるとは、聖書を通して知識としてその神の業を知っているということではなく、体験的に自分のものとして知っている、ということです。この「知る」という単語は原語のギリシア語では「特に愛する」という意味のある言葉であり、「特に愛する」とは即ち「選ぶ」ということです。

また「益」という言葉は原語では「アガトス」で「混じりけのない」という意味です。私たちは神に召され、即ち選ばれて「神と共に働く者」とされましたが、「共に働く」は「スネルゴー」で「同労者」という意味です。神様は、神様と共に働く者とされた私たちに、「混じりけのない」恵みを下さるのです。

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先ほど、Twitterの方に「聖書では円周率が3とされている」と書いたら、「全能の神がそんな大雑把なのか」というご意見をいただいたのですが、神様は正確な円周率を何万桁でも何億桁でもいくらでもご存知なはずです。しかしそれを正確に書いていたら聖書が電話帳より分厚くなってもまだ足りません。というわけで「ま、だいたい3でいいだろ。数学の本じゃないし」ということにしたのだと思います。そう言えば、アメリカかどこかで、円周率をひたすら何万桁も書いただけの本が出版されて、一万部ほど売れたそうです。世の中には物好きもいるものです。

それではまたいずれ。主にありて。

※あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。