説教要約3月5日「神のご計画と目的」
ローマ8:29~30

ある修道士が言いました。「一人になること、それは内なる安らぎの旅の始まりである」と。それは自己対話の始まりということです。ベネディクトゥスという修道士は「自分自身を相手に暮らそう」と、洞窟で三年間、一人きりの生活を送りました。そうすることで、自分の内にある葛藤や迷いを乗り越えて「本当の自分」になろうとしたのです。そして、その三年が経ったとき、神・己・他者の三者の健全な関係が彼の中で回復したのでした。

パウロはダマスコ途上で復活の主イエスに打たれました。そしてアナニヤのところに連れて行かれ三日間過ごしました。パウロにとってこの三日間は非常に濃密な自己対話の時間となりました。教会とクリスチャンたちを他の誰よりも迫害していたパウロが、この三日間の自己対話によって、新しい人へと変えられたのでした。

そのパウロは一つの問いを抱いていました。それは、誰よりもクリスチャンを迫害していた自分がどうして主に捉えられたのか、ということでした。その問いに対して「神様は私たちが願うよりもはるかに勝ご計画を持っている」という答えが与えられました。パウロはエペソ人への手紙で「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のないものにしようとされました」と記しています。パウロは「そうだ、神様は天地創造以前に、すでに私を知り、選んで下さっていたのだ」というのがパウロが得た答えだったのです。

その神のご計画の目的は、人が「み子のかたちと同じになること」「長子であるイエス様に繋がりイエス様の兄弟となること」です。これは考えてみればすごいことです。み子とはもちろん、主イエスご自身のことです。主は試練、苦難、悲しみ、成功、失敗といった私たちと同じことを、私たちと同じ人間として経験して下さり、それゆえに、それらすべてを用いて私たちを「み子に似る者」にしてくださるのです。

28節に「神のご計画に従って召された人々のために」とあります。30節には「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し」ろあります。神様は、私たちを教会に召し、それぞれの職業に召し、家庭に召し、一つ一つの出来事を余さず用いて私たちを「み子に似る者」としてくださるのです。

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腸内環境を整えると花粉症等のアレルギー体質にも良いと聞いたので、ヤクルトを飲み始めてみました。腸には何兆個もの細菌が住んでいるのだそうですが、その数までやっぱり神様はご存知なのでしょうか。髪の毛の数は把握していると聖書に書いてありますけど、腸内細菌の数についてはさすがに書いてありません。たぶん、把握しているのでしょうね。

それではまたいずれ。主にありて。

※あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。