3月27日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約3月27日「沈黙の音」
マルコ16:1~8
今日はイースターです。今回はイースターでは引用されることの少ないマルコの福音書から御言葉を味わいたいと思います。マルコの福音書は本来、16章8節で終わっています。その後の記述は挿入部分です。
サー・ ウィリアム・ヴォーンという文学者は「安息日の訓練(1641年)」という書物の中で「復活は自然を題材にすると予期できる」と言っています。それは、蝶 が幼虫から姿を変える様を見れば、主イエスが死の殻を打ち破って姿を変えたことは理解できるということです。蝶が幼虫から姿を変える時、殻を破って新しい 生命として生まれ変わるまで、蛹として長い沈黙の時間を過ごします。新しく生まれ変わった蝶は翼を拡げ、人間の耳には聞こえない小さな音を響かせて飛び立 ちます。
主イエスは十字かで死に、詩の世界に突入し死の殻を打ち破って復活して下さいました。その復活そのものを見た者は誰もいません が、復活後の主を最初に見たのはマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの三人の女性たちでした。彼女たちは主イエスの遺体に塗るための香油を買い、 墓に向かうところでした。その途上、三人は「どうやって墓の入り口の大きな石を動かそうか」を話し合っていました。しかし墓に着くとすでにその大きな石が 横に転がっていました。三人は墓の中に入りました。墓の中は真っ暗ではじめは何も見えませんでしたが、すこし時間がたつと目が慣れてきて、周りが見えるよ うになりました。すると、真っ白な長い衣をまとった青年が右側に座っているのが見えました。三人は当然のことながら驚きました。が、青年は言いました。 「驚いてはならない。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められたところです。」三人は恐ろしさのあまり、 気が動転し、墓から飛び出して逃げました。
人類で最初に復活の主を見たのは三人の女性たちでした。彼女らは世的には身分が低く、無学な者でありました。神はそのような者たちを用いたのです。
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参議院選挙期間中は政治的な意図のある言動とみなされてしまう可能性を考慮して更新を停止しておりました。
・・・・ウソです。すみません。ただ要約作業が遅れていただけです。
昨日、礼拝と投票の後でいくらか原稿を書き溜めたのでまた遅れを取り戻してゆこうと思っております。気長にお付き合い下さいませ。
それではまたいずれ。主にありて。