3月13日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約3月13日「どうしても語りたい福音」
ローマ1:1~7

パウロは自分自身を変えた「この福音」を強調しました。そして「この福音」をどうしても人々に伝えたい、と立ち上がったのです。もちろん、パウロはそのために使徒として神に選び分かたれ、召された器です。

「こ の福音」とは、旧約の預言者によって語られ、主イエスによって弟子たちに直接解き明かされ、弟子たちが初代教会へと手渡し、初代教会から中世の教会へと引 き継がれ、宗教改革者の手によって近世の教会から現代の教会へと受け継がれ、それを私たちが受け取ったところのものです。キリスト教会の歴史とは「この福 音」の生命の歴史だということです。私たちは「この福音」の命の伝統の中に身をおき、生かされている存在です。「この福音」の生命の線上にこそ、教会と信 仰の正統性があるのです。

「この福音」の内容は次の二つです。第一は「御子に関することで、肉によればダビデの子孫として生まれたイエス キリスト」ということであり、聖書によれば創世記の3章15節が福音の原型でありメシア預言でありますが、この預言はアブラハムから預言者達へと手渡され たものです。サムエル記によれば神はダビデに「あなたの子孫から救い主が生まれる」ことを告げていますし、事実主イエスはアブラハムの子孫、ダビデの子孫 として産まれました(マタイ1:1)。主が私たちと同じ肉体をとられたのは、人間の苦しみや痛み等を共有・共感し、分かち合うためです。預言通りに、私た ちと同じ肉体を持ってこの世に御子がお生まれになった。このことが第一の福音です。第二は「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公 に神の御子として示された方、イエスキリスト」ということです。それは十字架によって主が死の世界に入り込み、死の殻を打ち破って死に勝利したということ です。私たちと同じ肉体を持った主が、死を打ち破ったことは私たちが主によって死を打ち破ったことに等しく、それ故に大きな福音であるのです。

パウロは「この福音」を語らずにはいられない使命感に満たされていました。彼は「この福音」のために使徒としての務めを受けました。私たちもパウロのように「この福音」によって召され、聖別された者ですから、「この福音」を大いに語る者でありたく思います。
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本当にこの欄外に書くことがないので、昨日宣言したように不謹慎ジョークを本当に書きます。
【不謹慎ジョーク】
Q 「なぜ上馬教会の礼拝説教中は静かにしていなければならないか」

A 「みんなが寝ているから」

あっはっは。
本 当に上馬教会の礼拝は寝ている人が多いんです。牧師も「説教は毛穴から入るからそれでよし!」と認めちゃってますし。それであとからこのブログで説教内容 を確認する人も多いみたいですよ。そんなわけなので、教会に来たことのない方もお気軽に来てみて下さいね。寝ててもいいんですから。
それではまたいずれ。主にありて。