11月29日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約11月29日「キリストの再臨」
Iテサロニケ4:13~17

テ サロニケ教会は20人程度の小さな共同体でしたが、現代の私たちも模範とすべき、バランスの取れた教会でした。この「テサロニケ人への手紙」はAD50年 頃に書かれた手紙で、それは即ちテサロニケ教会には主イエスを直接にその目で見て、「同じ有様で戻ってくる」という約束をその耳で聞いた人たちがまだたく さんいたということです。パウロも、ダマスコへの途上で「サウロ、サウロ、私はあなたが迫害しているイエスである」と主の声に直接打たれて、その存在を実 感した人です。そのパウロがそのテサロニケ教会へ手紙を送っているのです。テサロニケの人々にとってこの手紙がどれほど心に響くものであったか、それは恐 らく私たちの想像を遥かに越えるものでしょう。テサロニケ教会は、そんなわけで固く再臨の信仰の上に立ち、愛に満ち、偶像から手を切った歩みをしていまし た。神を第一とし、互いに愛し合い愛の業に励むことにおいて、誰も文句のつけようのない教会でした。パウロはこのことについて「あなたがたは私の誉れだ」 と表現しています。

そんな歩みの中で、テサロニケ教会の一人が亡くなりました。愛に満ち、互いに深く愛し合っていたからこそ、それは教会 にとって非常に深い悲しみのできごとであり、彼らは絶望を味わっていました。そんな彼らにパウロは「眠っている人々のことについては、兄弟たち、あなたが たに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことがないためです」と励ましの言葉を送りました。彼らは 主にある民が、主イエスにあって亡くなった後、どうなるのか知らなかったのです。

悲しみに沈んではならない。立ち上がれ。主は必ず来る。 主の昇天が眼前に起こったように、再臨もまた眼前に現れる。主にあって亡くなった者はその時に主とともに、主と同じように眼前に現れる。主の降臨が精神 的・抽象的な出来事ではなく具体的な事実として起こったのと同じように、再臨も精神的・抽象的な出来事ではなく具体的な事実として、そのように起こるので ある。

と、このようにパウロは書き送り、テサロニケ教会に教え、励ましたのでした。世の希望は空しくとも、主イエスに結びついた希望は本 物だと、パウロは語ったのでした。十二弟子たちも「主がいなくなったらどうしよう」と不安を覚えました。しかし主はそんな彼らに「私たちはお前たちを必ず 迎えにくるから安心していなさい」と語りました。

私たちはクリスチャンです。私たちは生きている者も死んだ者も同じ復活の主を信じていま す。他の「望みのない人々」ではないのです。彼らのように恐れたり、心を騒がせたりしてはなりません。主は再臨の時に先に眠った人々を共に連れて来られま す。そして生きている人々とともに空中で会うのです。私たちが立つべき希望はすべてこの再臨の信仰の上にあります。主を待ち望むことが私たちの希望の原点 です。この原点から、主に目を向け、決してその目を離さずに歩むこと。真の希望はこの道の上にしかないのです。

アドベントは主の降臨を覚える期間です。つまりそれは、主の再臨を確信するための期間でもあるのです。今こそ、互いに励まし合って歩め、という主の勧めを再確認して、強く歩んで参りましょう。
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こ の時期は毎年、クリスマスの準備で教会はドタバタします。一年で一番、教会が忙しくなる時期です。忙しくて大変ではあるのですが、最も楽しい時期でもあり ます。やっぱりクリスマスというのは子どもでも大人でもワクワクするものですよね。そのワクワクの中心に、サンタクロースではなく、主イエスがいて下さい ますように。

それではまたいずれ。主にありて。