11月15日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約11月15日「牧会者の心」
Iテサロニケ3:1~10

聖書はしばしば、私たちと主イエスとの関係を、羊と羊飼いという比喩で表現します。この比喩はまた、教会にも用いられ、信徒と教職者の関係をも示します。故に教会の教職者、指導者のことを「牧師」と呼ぶのです。

牧師と信徒の関係は必ずしもいつも順風満帆とは限りません。むしろ常に必ず問題や課題が生じていると言った方が良いかも知れません。そんな問題に際して牧師は「牧師は教会で十字架につけられる」という経験をします。

テ サロニケにおいてパウロが福音を語り、多くの人が主を信じるようになり、そして教会が誕生しました。しかし、そのパウロの働きを妬み、暴動を起こす人々が 起こりました。そのため、パウロはテサロニケを去らざるを得なくなりました。そしてパウロは今、コリントの町からそのテサロニケの教会に向けて手紙を書い ています。港町コリントでの伝道は困難を極め、パウロは逃げ出したいと思うほどの苦労に直面していました。しかしそんな中にありながら、パウロはテサロニ ケ教会の人々の困難と苦労にも心を置き、「信仰を強め、励ましたい。苦難の中にあっても動揺する者が一人もでないように」と願っていました。これが牧会者 の心です。「あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと昼も夜も熱心に祈っている」この「補う」はギリシャ語で「カタルチゾー」であり、漁師が使う 言葉でした。漁師が魚を捕ると必ず網に傷がつきます。この傷を「繕う」。これがこの「カタルチゾー」です。パウロはテサロニケの教会の人々が苦難の中で受 ける信仰の傷や不足を「繕い」たいと願って心配し、心を痛めていたのでした。

パウロはこのことを思うとどうにも我慢ができなくなりまし た。しかし、自分がテサロニケに行くわけには行きませんでしたので、こうして手紙を書き、そして同労者テモテを自らの代わりとしてテサロニケに遣わしまし た。パウロはテモテからの報告を待ち望み、テモテも忠実に報告を送りました。その報告はパウロの心配を喜びに変えるものでした。テサロニケ教会は艱難の中 にあっても固く信仰に立ち、愛の業に熱心であり続けたのです。この、「自分に委ねられた人々への心配が喜びに変わる」ことが、パウロだけでなく、すべての 牧会者、牧師の喜びであり、生き甲斐なのです。そしてそれはもちろん、すべての人の羊飼いである主イエスの喜びでもあるのです。
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秋 もすっかり深まり、気づけばいよいよ来週からアドベント、という時期になりました。アドベントというのはクリスマス前の約4週間の期間を指し、日本語で言 えば「待降節」または「降臨節」と言います。クリスマス=主イエスの降臨を待ち望む期間であり、教会が本格的に「クリスマスモード」に入る期間のことで す。礼拝も普段とは少しだけ装いが違ったりします。クリスマス気分を満喫してみたい方は来週の日曜日からクリスマスまでのこのアドベントに、是非一度教会 に足を運んでみて下さい。