8月2日主日礼拝の説教要約です。
あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈を
している場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。
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説教要約8月2日「人生の本質 その1」
創世記49:1~7

人生の本質とは何か、これは人間が歴史的にずっと問い続けてきた問いです。この問いに対する聖書の回答を見てゆきたいと思います。48章はヨセフの将来についての予言でした。49章はヤコブの12人の息子達(12部族)の将来についての予言です。ここに記されているヤコブの祝福の祈りは、そのまま予言となっているのです。ヤコブにいよいよ臨終の時が近づいたとき、彼は息子達を呼び集め、心のうちにある思いを語りました。ヤコブはこの時を待っていたのでした。「待つ」ということは円熟した人格を必要とします。まして「神の時を待つ」ということには十分な霊的成長が必要です。ヤコブは息子達に「どのように生きるべきか」「どのように死ぬべきか」を教えようとしました。

それは具体的には「土地の分割」と「メシアの家系(救い主がどの血統から生まれるか)」についての言葉でした。キリストを認めないユダヤ教のラビ達はこの箇所を「メシア待望」についての予言であると解釈しています。これらの重要な内容がどのような状況で語られたのかは、1節に記されています。ヤコブは「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう」と語り始めました。新共同約聖書ではこの箇所は「私は後の日に」と記されています。つまり、ここでヤコブが語るのはヤコブの人生の終わりの日、ではなく、「世の終わりの日」についてであるということです。ここでヤコブが語った12名の息子達とそれに連なる12の部族についての予言は新約聖書の黙示録21章12節と深く結びついています。聖書全体を貫く非常に重要なメッセージがここにあるのです。

ヤコブはまずルベンについて語り始めました。ルベンはヤコブの長子であり、最初の実でした。故にもともと神の祝福について他の兄弟に対して優位性を持っていました。しかし、彼には性格に問題がありました。彼は欲情によって行動しがちで、意志が弱く、自己管理能力に欠けていたのでした。目的意識にも欠け、何をしても中途半端でした。そのため、もともと持っていた長子としての優位性を剥奪されてしまいました。

次にヤコブはシメオンとレビについて語りました。この二人は同じ母レアから生まれた兄弟でした。他にディナという妹も同じレアから生まれていました。このディナはシェケムの街でレイプ事件の被害者となりました。シメオンとレビはこれに怒り、その怒りを制御できず、シェケムの男子全員を皆殺しにしました。神はこの二人の行動をよしとせず、この二人との付き合いを禁じました。復讐を自らの手でなしたことが罪とされたのでした。

私たちには、自由意志が与えられていますが、だからといって自由にいつでも何をしていいわけではありません。自由意志をもって、神の時を待ち、神の御心と御業に信頼することが求められているのです。このことがまず、神に生かされる者の人生の本質の一つです。神に与えられた自由意志を乱用する者はルベン、シメオン、レビのように祝福から外れた者とされるのです。

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正直に告白いたします。マロはこの8月2日の説教、居眠りをしていました。夏バテしちゃいまして。すみません、ごめんなさい。「欲情により行動し、意志が弱く、自己管理能力に欠けていた」と、上で書いたルベンと同じ状態でございます。祝福から外されてしまう存在でございます。でも渡辺牧師はいつも言うのです。「寝てても説教は毛穴から入る!」と、いうわけで今回は毛穴フル活用で頑張りました。こうしてちゃんと罪を告白したので、イエスさまもきっと赦して下さると思います。ではまたいずれ。主にありて。マロでした( ・ิω・ิ )/