祈りとはどのようにしたらいいのでしょうか?

よく誤解されていることですが、祈りとは「神様へのお願い」ではありません。「神様との会話」です。神様はお祈りによって私たちの言いなりになる方ではあ りません。もちろん、自分の願いを神様に伝えることも大切ですが「私はこうしたいのですが、神様はどう思うのでしょう?」という謙虚な態度が重要です。ま た、主イエスが「祈りはこのようにしなさい」と私たちに教えて下さった「主の祈り」を祈ることも非常に良いことです。ともあれ、まずは「神様の御心を聞こ う」という態度が何より大切なことです。祈りの言葉が多少粗末であっても、神様は私たちの心を直接知っておられる方ですから、その態度をお喜びになるはず です。

お酒やタバコはやめなくてはいけませんか?

キリスト教は禁欲主義ではありません。日常生活において「〜〜をしてはいけない」ということは実はほとんどないのです。神が造られたもので悪いものは一つ もないからです。「酒に酔ってはいけません」という記述は聖書にありますが、これは「酒に飲まれてはいけません」という意味です。主イエスはカナの婚礼に おいて樽の水をワインに変える奇跡を起こしましたし、「大食いの大酒飲み」と揶揄されたという記述もあるくらいで、ご自身もお酒を飲まれたようです。キリ スト教徒が禁酒をするというイメージはアメリカ新大陸を主な活動の場とした清教徒達や、1920年代の禁酒法のなごりです。ただし、飲むにもきちんと節度 を守り、「酒におぼれる」ようなことは決して良くありません。生活の中心が神でなく、お酒になってしまうようなことは避けなくてはなりません。タバコに関 しては聖書の書かれた時代に存在しなかったのか、直接の記述はありませんが、考え方はお酒と同じで良いと思います。実際に私たちの教会にもお酒をたしなむ 方がいますし、少数ですが愛煙家もいます。ただし、教会の施設内は禁酒禁煙です。