説教要約3月12日「味方なる神」
ローマ8:31~39
今日の説教でローマ書8章を終わりますが、この箇所は何度も言うようにまさに「恵みの最高峰」です。この8章について、ローマ書研究で有名なF・Aフィリッピは「著者が読者と同じように1章18節から上がってきた慰めの階段の最高の段である」と評しています。
今日の箇所はそんなローマ書8章の中でも「パウロの勝利の歌」と呼ばれる箇所です。パウロにとっての「勝利の歌」であるということは、そのままそれは私たちにとっても「勝利の歌」であるということです。
さて、31節に「では、これらのことからどう言えるでしょう」とあります。「これらのこと」とは、キリストと苦難を共にする、ということです。パウロは「患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険」を人一倍体験した人です。そのパウロが「これらのこと」を「キリストと苦難を共にすること」だと言うのです。そして「神がすべてのことを働かせて益として下さる」のです。どんな苦難も最後はすべて益となるというのです。素晴らしい恵みです。
ところで、私たちクリスチャンは日常生活の中で「それでもクリスチャンか」などと非難されることがありますが、そういうことに関して、今日の箇所で注目すべき言葉は「誰」ということばです。この「誰」は今日の箇所で4回使われています。パウロはその「誰」がどんな者であって、どれほど私たちに敵対しようとも、私たちを「キリストの愛から引き離すことはできない」と言います。その根拠は神様が「私たちのすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された」という事実です。ここで使われている「惜しまず」は創世記22章12節で「あなたは、自分の子、自分のひとりの子さえ惜しまないで私に捧げた」と神様がアブラハムに言ったのと同じ言葉です。父なる神は、もっとも大切な主イエスキリストを私たちのために「惜しみなく」十字架の死に渡されたのです。だからこそ「高さも深さも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリストイエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません」とパウロは言うのです。
私たちの苦難もすべて働かせて益として下さり、そしてどんなことによって引き離されることがない。神様は徹底的に私たちの味方なのです。安心して力強く日々歩んで行きましょう。
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WBC、侍JAPANが負けてしまいました・・・。しかしこれも「神がすべてのことを働かせて益として下さる」はずです。アメリカの方々は喜んでいるでしょうしね。勝敗は兵家の常。立派な試合で楽しませてもらいましたから、喜びましょう。「いつも喜んでいなさい」と聖書には書いてありますから。こんな時こそ、嘆くよりも喜んでいたいと思います。
それではまたいずれ。主にありて。
※あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。