説教要約2月5日「内に住む聖霊に導かれて」
ローマ8:5~11

ローマ書の8章は恵みの最高峰、宝石で言えば最も輝いている部分であると言われます。

11節に「あなたがたのうちに住んでおられる御霊」とある。御霊とは、聖霊のことでイエス様の霊のことです。旧約聖書を見ると、罪人である人間は、聖なるお方に触れることはもちろん、近づくことさえできませんでした。もし近づこうものなら即死したほどです。その聖なる聖霊が「私たちのうちに住みたもう」というのですから、驚くべき恩恵であり、奇跡です。

人間には、人間の数だけ価値観があり、生き方があります。クリスチャンも同じです。パウロはその生き方に「肉に従う生き方」と「御霊に従う生き方」があると言います。今日の箇所の前半には「肉」という言が繰り返し使われています。後半には「御霊」という言葉がくり返し使われています。パウロは人間の生き方は様々あっても、この二つにまず大別されると言っているのです。

「肉に従う者は肉のことをもっぱら考える」とは「肉に関心が集中する」「その人の決定的な関心が肉に置かれている」ということです。この「もっぱら考える」はローマ14:6に「日を守る人は、主のために守っています」とある「守る」と同義語です。この言を「重んじる」と訳す聖書もあります。つまり、肉を第一優先にして生きている、ということです。

それに対して、御霊に従う者は「御霊による思いは、いのちと平安」だと言います。パウロは「御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考える」と言っています。パウロはまたガラテヤ5:16でも「御霊によって歩みなさい」と薦めています。御霊によって歩む者は「御霊の実」を結ぶからです。私たちは、主から使わされている、それぞれ職場や学校や家庭等で御霊の実を結ぶ生涯を送るのです。

イエス様は、人は「何を食べようか」「何を着ようか」と肉の心配ばかりしていると指摘しています。それが「肉のことをもっぱら考える」ということ。そして「神の国とその義をまず求めなさい。と言われました。それが「御霊に属することをひたすら考える」ということです。そうすれば「すべてのものが与えられる」。即ち、食べるものも着るものも、御霊に属していれば自ずと与えられる故に、心配することはないということです。
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心配してはいけないと聖書に書いてあっても、それでもやっぱり心配なのが人の性。
この拙い人生経験を思い返してみれば、心配しなくても必要なものがちゃんと与えられたという経験は何度もあるのですが。それでもやっぱり心配なのが人の性。

それではまたいずれ。主にありて。

※あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。