溜まりに溜まっていた【説教要約】更新の遅れをようやく取り戻せたので、久しぶりに【日々コラム】です。今日もありがとうございます。マロです。

さて、先ほど【お知らせ】でも書きましたように「教会的宣伝会議 セミナー2017」でWEB宣教についてお話させていただくことになりました。普段これだけ好き放題な伝道をしている僕たちが、たくさんのキリスト教関連の方々を前にしてお話しするわけですから、これはもはやほとんど「怒られにゆく」ようなものです。たとえるなら職員室でたくさんの先生に囲まれながら反省文を朗読させられる小学生のようなものです。ただ、一緒に怒られてくれる頼もしい上級生(=キリスト新聞の松谷さん)がいるのが心強いですが。

仕事柄、人前でお話しさせていただくことは時々あるのですが、そのたびに頭に浮かぶのは出エジプト記4章12節の「わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう」です。そうは言っても、だからといって、とはいえ、しかしながら、However、何も準備せずに講壇に立つほどの度胸は僕にはありません。なんやかんや言ってモーセさんの度胸は見上げたもんだと思います。だからこれからきちんと準備原稿は書きます。

ただ、毎回思わされることは、準備をきちんとして行っても、最終的に語ることはやっぱりその場で神様が教えて下さるということです。「ここの言い回しはどうしよう?」とか「この話題は話すべきか話さないべきか」のようなことは、その場で神様が必ず答えを与えて下さいますし、時には準備原稿にまったく用意していなかった話題がスルスルと頭に浮かんで来てそれを語ることもあります。そんな時はまさに「神様が語らせて下さる」「聖霊が語って下さる」と感じます。

怒られないならそれに越したことはないですが、怒られるのが神様の御心なら、大人しく怒られて来よう、とも思っています。神様が教えて下さる「語るべきこと」を語って怒られるなら本望です。大丈夫、いくらか怒られたところで、僕たちはこの伝道スタイルを変える気はありません。一見ふざけているように見えるTwitterでの投稿も、これはこれで神様が教えて下さる「語るべきこと」であると確信を持っていますから。

ええ、確かに毎日ふざけています。毎日かかさずふざけています。だって神様が毎日新しい「ふざけ」を僕らの頭に吹き込んで下さるのですもの。ユーモアセンスも抜群ですよ、イエス様は。

語るべきことを語れば、怒られることだってあります。イエス様だって、いろんな人からさんざん怒られましたからね。モーセも、ノアも、アブラハムも、イザヤも、みんな。

ではまたいずれ。主にありて。マロでした。