マロです。3月に入りました。いよいよ春が来ますね。今日もありがとうございます。

さて、先ほどTwitterの方の【今日は何の日】のコーナーに、今日はルネサンス画家のボッティチェリの誕生日であり、彼は自身の作品「東方三博士の礼拝」の右端に自分自身を描いているということを書きましたが、このように画家が自らの作品に自画像を描くことは珍しいことではないようです。

例えば、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」でも女神の左に描かれているのはドラクロワ自身だと言われていますし、ラファエロの「アテネの学堂」でも右上に描かれている人物はラファエロの自画像だと言われています。

どの本かは忘れてしまいましたが、以前に読んだ本に「聖書を読むときは、自分がその場にいるかのように読め」と書いてありました。イエスの父ヨセフと共にマリアとその宿した子を労り、東方の博士と共に主の生誕を喜び、弟子たちのように主と共に旅をし、十字架の下で百人隊長のように主の死を目撃せよ、と、そのように書いてありました。聖書は「物語」ではなく、自らの歴史として読むべきだ、と。

そう考えると、ボッティチェリが東方三博士の礼拝の絵に、自らを描いたのは、私たちが聖書を読むときの模範だな、と思うのです。

ただ、あのカメラ目線はどうかと思いますけど。イエス様には目もくれず、完全にこっちを見つめていますからね。あの視線はどういう意図なのでしょう。どなたか美術研究家の方、教えて下さい。

今日も豊かな祝福がありますように。
それではまたいずれ。主にありて。マロでした。