昨日は南風、今日は北風ぴゅーぴゅーぴゅー。めまぐるしい季節感な今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。マロです。今日もありがとうございます。

先日、ラジオの収録で(放送は6月くらいの予定です)、「どうしてキリスト教の伝道なのに、笑いにこだわるのか」って話になりまして。伝道に笑いが必要なのか。不真面目に見えてしまうのじゃないか。そういう疑問は抱かれて当たり前だと思うのですが、僕は必要だと思っています。なぜなら端的に言ってしまえば「笑えば人はとりあえず死なない」からです。

もう随分と昔のこと、まだ信仰を持つ前のことですが、色々あって自殺しちゃおうと思ったことがあったんです。台所から包丁を持ってきて、首に押し当てて、あとは「ぐいっ」とこれを引けば死ねる、というところまで行ったんです。

ところが。その時、テレビがつきっぱなしになっていまして。そこで「笑点」の大喜利が流れていたんです。カラフルな浴衣の列に目を取られて、僕は首に包丁をあてたまま、しばらく笑点を見てしまいました。そして、どなたのか忘れちゃいましたが、ある答えにクスっと笑ってしまったんです。そしたら、なんだか急に、首に包丁をあてている状況が不自然になってしまって。「別に死ぬのっていつでもできるからいいや」って、思ったんです。それで僕は今も生きていて、こうして原稿を書いているのですけど。

それで、「ギリギリの精神状態の人でも、クスッと笑えればとりあえず死なないな」って思ったんです。うちのTwitterとかブログを読んでくれている人の中には、もしかしたら同じようなギリギリの精神状態の人がいるかも知れません。そういう人には「神様を信じましょう!」よりも前に「まず笑って!」と思うんです。笑いってそういう意味で「心の応急処置」みたいな意味があると思います。根本治療はもちろん僕たちは神様の福音が一番だと思っていますけど、目の前で苦しんでいたり痛がっていたりする人がいたら、まずは根本治療よりも応急処置でしょう。

もちろん「教会の敷居を低くする」「たくさんの人に見てもらいやすい」という意味もあるのですけど、そんな意味もあって、僕たちは「笑い」を大事にしてミニストリーをやっているんです。多少「不謹慎だ」と怒られようとも、それで少しでも楽になれる人がいるなら、それが何よりです。

いつも喜んでいなさい。Iテサロニケ5:16

笑いも一つの喜び。少しでもまず、喜んでもらうことが何よりの伝道なのだろうなーと思ってます。

それではまたいずれ。主にありて。マロでした。