皆様、週の初めの月曜日、いかがお過ごしでしょうか。肩こりがひどくてパソコンのキーボードを打つのがつらいので、スマホのフリック入力でこの原稿を書いているマロです。

今朝、Twitterでもご報告したのですが、教会の庭に咲いたカサブランカの花が一本、何者かによって切られて盗まれてしまいました。花泥棒です。実は上馬教会では長年、この花泥棒に悩まされ続けています。今回のカサブランカに限ったことではないんです。

お花担当の教会員が年中、土だらけになってお世話をしてようやく花が咲いて、みんなで「綺麗に咲いたね、嬉しいね」と言っていると、夜中だか早朝だか知りませんが、われわれが目を離したすきにその花を持って行ってしまう花泥棒さん。ねえ花泥棒さん、私たちはその度にあなたが想像するよりもはるかに深く、傷ついています。

今回のカサブランカの切り口を見ると、明らかに裁ちバサミで切られていますから衝動的な犯行ではなく、計画的な犯行だと思われます。

Twitterでも多くの方が「ゆるせない」というコメントを下さっています。もちろん私たちもゆるしがたく思っています。

しかしキリスト教とは「赦しの宗教」。ではこの花泥棒さんをイエス様は赦すのでしょうか。

赦されます。神の赦しは無条件に与えられていますから。しかし、神に赦された者にはその証として悔い改めが生じます。「悔い改め」とは、自分の罪を自覚し、その罪を悔い、二度と犯さないと自らを改めることです。赦しには必ず悔い改めが伴うものであり、悔い改めなしの赦しはないんです。ですから私たちは「好きなように好きなことを何でもやっていいんだ。神様が赦してくれるんだから」ということではないんです。「どんなにひどいことをされても、神の赦しの名の下に泣き寝入りなさい」ということでもないんです。

ただ、悔い改めたなら赦されます。

カサブランカを盗んだ花泥棒さん、もしかしてこの投稿を読んだりしていませんか。もし読んで下さっているなら、私たちがあなたに伝えたいことは「悔い改めてください」の一言です。あなたが悔い改めてくださりさえすれば、私たちもあなたを赦すことができます。神様も赦してくださいます。でももし、「たかが花の一本や二本でギャーギャー言うなよ」とか「沢山咲いていたんだから一本くらいもらってもいいじゃない」とか、あなたがご自身の罪をお認めにならないなら、私たちもあなたを赦すことができませんし、神様もあなたをお赦しになりません。

私たちは「神さまがあなたを赦すように、あなたもあなたに罪を犯す者を赦しなさい」と教えられています。ですから私たちはあなたを赦したいんです。でも「悔い改め」、もうわかりやすく言っちゃえば「ごめんなさい」ですね、「ごめんなさい」なしに私たちはあなたを赦すことができないんです。だって私たちはあなたが誰かさえ、知らないんですから。厳密に言えば、防犯カメラを確認すれば分かるんですけれども、そんな風にあなたを特定したところで、神様の前で意味がないことは分かっていますから、私たちはあなたが名乗り出て「ごめんなさい」と言ってくださることを待っています。もし、「ごめんなさい」と言ってくださるのなら、私たちは誰ももはやあなたを責めませんし、あなたが望むなら教会に招き入れて、あなたと一緒に祈ります。

花泥棒さん、花を見て美しいと思い、それを自分のものにしたいという気持ち、分かります。でもそれなら今度から、正面から教会に訪ねてきて「花を見せて」と言ってください。そしたら一緒にお茶を飲みながらお花見ができるじゃないですか。その方がきっと、花ももっと綺麗に見えるはずですよ。

あなたに「ごめんなさい」即ち「悔い改め」が聖霊により与えられますように、お祈りしています。

ではまたいずれ。

主にありて。

マロでした。