木曜です。マロです。今週もお付き合い下さい。「不幸を乗り切る5つのプロセス」シリーズ、残すところ今回を含めて2回です。今週は『否認』『怒り』『取引』に続く4つ目のプロセス『抑うつ』についてです。

不幸に見舞われて「ウソだろ?そんなわけない」と疑い、それが本当に事実であることを確認し、「どうして僕がこんな目に?」と、その不幸の意味を問い、「それは嫌だ、何とかならないのか」と、その不幸に対して自分の思いを吐露し、もがき、これだけのプロセスを経て至るのが『抑うつ』というプロセスです。「あぁ、やっぱりダメなのか。どうしても避けられないのか」とガッカリして力を落としてしまい、何もできなくなってしまう状態です。うつ病に似ていますが、うつ病と違うのは、うつ病は理由もなく落ち込んでしまうのに対して、このプロセスは理由があって落ち込んでしまう点です。理由があるんだけれども、その理由をどうしても解消できないから落ち込んでしまうのがこの『抑うつ』の状態です。この状態になってしまったら、誰かが「気を落とさずに頑張って」なんて声をかけたとしても「頑張ったってもう無駄なんだから」と、余計に気を落としてしまいますし、自分で無理に「頑張ろう、元気を出そう」なんて思っても同じことです。励ましたらむしろ逆効果、というのはうつ病と同じかも知れません。

しかし、この『抑うつ』の状態、考えてみれば当たり前と思えませんか。これ以前の『否認』『怒り』『取引』、どれをとっても非常にエネルギーを使うプロセスばかりです。それだけエネルギーを使うプロセスを三つも連続してこなしたのですから、心がエネルギー切れを起こしてしまうのも自然なことです。ですからこの『抑うつ』のプロセスは「休養」とか「充電」と言い換えることもできます。最後の『受容』のプロセスで力強く前に踏み出すために力をためこむ期間、それがこの『抑うつ』なのではないでしょうか。そう思えばこのプロセスも必ずしも避けるべきものではなく、人間にとって必要かつ健全なプロセスであると言えます。

蝶は青虫として生まれ、たくさん葉っぱを食べながら急激に成長します。そして成虫の美しい蝶になる前に、さなぎになって一切の活動をストップします。あれほどたくさん食べていた葉っぱを一口も食べなくなります。それは美しい蝶になるための準備期間、休養期間です。

「13人目の使徒」と呼ばれ、新約聖書の多くの書簡を著したパウロはキリストの復活を「メタモルフォーセー」という言葉で表現したそうです。これは英語の「metamorphose」の語源で「変態」という意味です。(「変態」って変な意味の方じゃないですからね!虫が幼虫から成虫になる時に姿を変えることを意味する方ですからね、念のため。)パウロはキリストの人生の完成を青虫が蝶になる様子に重ねていたのです。それに従えば、人の成長にはさなぎの時間は不可欠なもの、即ちこの『抑うつ』の時間は不可欠なものなのです。

キリストは先週お話ししたゲッセマネの祈りの後、つまり『取引』のプロセスの後で、一人で悶え苦しみます。聖書を読むと、キリストという人は常に前向きで活動的な人です。このシーン以外にキリストが殻にこもって苦しむという場面はありません。そんなキリストでさえ、十字架という苦難を受容するためには多大なエネルギーを消費し、その結果この『抑うつ』の状態に陥ってしまったのです。

しかし聖書にはこの『抑うつ』に対処するヒントもちゃんと書かれています。この時、キリストに従って3人の弟子がこのゲッセマネに着いて来ていたのですが、彼らはキリストが悶え苦しんでいる時、眠ってしまっていました。彼らに対し、キリストは「目を覚ましていなさい」と言います。これはどういうことでしょう。恐らく「起きていて、私と一緒に時間を過ごして欲しい」ということだと思います。キリストは彼らにこれ以外の何も求めていません。ただ「目を覚ましていなさい」というだけなのです。「励ましてくれ」とも「慰めてくれ」とも言わないのです。『抑うつ』の時は、周りの人には何もできない、と思いがちですがそんなことはないのです。確かに「励ます」「慰める」などの行為は意味をなさないかも知れません、場合によっては逆効果になるかも知れません。しかし、「共にいる」「寄り添う」ことはできるし、それは非常に意味のあるなことなのです。ですから自分が何らかの不幸にあって『抑うつ』のプロセスに入ってしまったら、一人でそれに耐えるのではなく、誰か一緒に時を過ごしてくれる人を見つけて、その人に一緒にいてもらうことが大切です。それがこのプロセスをスムーズに終わらせて、ゴールである『受容』に早く至る道です。キリストはこの『抑うつ』のプロセスを終えた後、自分を裏切ったユダと彼に率いられた軍勢に身を任せ、十字架の死にいたります。この『抑うつ』の後のキリストにはもはや何の迷いもみられません。嘆くこともありません。毅然と、自分の苦難と死に向かっていきます。

これまでの3つのプロセスと同じように、この『抑うつ』のプロセスも、つい「できれば避けたいな」「そうならない方が立派なんだろうな」と思ってしまいがちなプロセスですが、これまたこれまでの3つのプロセスと同じく、人間に必要かつ健全なプロセスなのです。よく「うつには休養が必要」と言われますが、むしろ「うつ自体が休養なのだから休養して当たり前」なのです。誰も「さなぎには休養が必要」なんて言いませんよね。さなぎはもうそれ自体が「休養状態」なので「休養が必要」とかそんなレベルではないのです。だから今、『抑うつ』にある方、自分を責めたり急かしたりしないで下さいね。「自分は今、さなぎなのだ。必要な休養をとっているのだ」と自分に言ってあげて下さい。キリストでさえ、避けて通れないプロセスだったのですから。その方がきっと、その期間は短く終わります。そしてできれば、一緒に時間を過ごせる人を見つけて下さい。もしいなければ、神様とか、何か自分の信じる大きなものでも良いと思います。そんな存在と時間を共に過ごしてみて下さい。

さなぎは葉っぱを食べません。もし食べたら、それはむしろ不健全なさなぎです。さなぎは葉っぱを食べないのが健康なのです。だから、食べられないからとか、食べないからとかと言って心配することはないのです。

とか言いつつ、僕は今はさなぎ状態ではないようです。すごくお腹が空いて来ました。何か食べてくることにします。と、いうわけでまた来週。

主にありて。マロでした。