説教要約6月4日「教会の誕生」
使徒2:1~4

今日はペンテコステです。ペンテコステとはいわば「教会の誕生日」であり、今日は世界中の教会が教会歴に従って、教会の誕生を記念し、ペンテコステ礼拝を行っていることでしょう。

さて、私たちは教会をどのように理解しているでしょうか。人によっては、特にノンクリスチャンの人であれば、何らかの建物に十字架がついていれば、それだけでそれを教会と認識してしまうかもしれません。そうでなくとも、いわゆる結婚式場のチャペルを「教会」と認識してしまっている人は少なくないのではないでしょうか。

しかし実はチャペルはあくまでチャペルであって教会ではありません。チャペルとは教会堂、即ち物質的な建物を指します。それに対して教会は英語でいえばチャーチ、簡単に言えば私たちクリスチャンの共同体のことを指します。ですから、建物に十字架がついていようとも、結婚式場のチャペルであろうとも、そこにクリスチャンの共同体が存在しない限りはそれはあくまで建物であって、教会ではないのです。逆に言えば、教会らしい建物がなくても、そこにクリスチャンの共同体があれば、それは教会だということです。チャーチとはギリシア語では「エクレシア」といい、「呼び集められた者」という意味です。教会は様々なところから聖霊によって呼び集められた者たちの共同体です。私たちクリスチャンは聖霊によって、神の業を行う神の民として導かれた者なのです。

聖書を見ると、教会は「聖霊共同体」「愛の共同体」「祈りの共同体」「慰めの共同体」「神の家族」など、様々な呼び方をされています。いずれにしても「共同体」であるわけですが、これはただ人が人の意志によって集まった「グループ」や「サークル」などではなく、聖書によれば五旬節の日、即ちこのペンテコステの日に、聖霊によって与えられた賜物としての共同体です。その共同体の結合は人の意志や人の力ではなく、神の力であるということです。「賜物」という言葉がわかりにくいかもしれませんが、「賜物」とは語源を辿れば「カリスマ」です。現代社会で「カリスマ」と言えば「絶大な人気や影響力を持つ人」という意味で用いられることが多いのですが、元々は「神の恵み」という意味です。ですから教会は神に根拠をもつ、神の恵みによって結合された共同体であるということです。決してペテロを始めとする使徒たちの意志や計画によって作られたものではないのです。

さて、五旬節とはもともとユダヤ人の祭りの日で、「七週の祭り(これが『ペンテコステ』の語源です)」や「小麦の祭り」と呼ばれます。旧約聖書のレビ記をみると、この小麦の祭りにあたっては、人々は小麦でイースト菌の入ったパンを二つ作って祭司の所に行くことになっていました。ユダヤ人の習慣において、聖なる捧げものに、イースト菌の入ったパンを用いることは珍しいことです。通常、そういった目的にはイースト菌の入っていない「種無しパン」を用いることがほとんどです。イースト菌はわずかなものが大きく膨らむ様子から、「罪」の象徴とされていたからです。しかし、この日ばかりはその「罪」について、神との和解をするために、わざわざイースト菌の入ったパンを持って祭司の所に行ったのです。パンを二つ用意するのは、一つはユダヤ人、一つは異邦人を象徴するためでした。小麦の祭りではもう一つ、皆で聖書のルツ記を読むという慣習もありました。ルツ記にはユダヤ人と異邦人との麗しい関係が記録されているからです。五旬節の祭りには、神とユダヤ人との和解、ユダヤ人と異邦人との和解、という二つの「和解」の意味があったのです。

この日は神からユダヤ人たちにモーセを通して律法が与えられた日でもありました。律法とは神とユダヤ人との和解の契約です。しかし、ユダヤ人に限らず、私たち人間はすべて神の前では罪人であり、和解が必要です。十字架のキリストは私たちに、ユダヤ人と異邦人との壁を取り除き、また神との壁も取り除くという大きな恵みを与えて下さいました。そしてこの日に、新しい契約とそれを履行する「神の業の機関」としての教会がこの世に与えられたのです。かくして私たちは教会という愛の戒めに生きる共同体の一部となったのです。
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イースト菌が罪の象徴であると言うと、多くの方には驚かれますし、僕自身も初めてそれを知った時は驚きました。でも確かにあれだけ少しの粉が、あれだけ大きく膨らむというのは、罪の在り方に似ていると思わされました。時々誤解されるのですが、だからと言ってクリスチャンが普通のパンを食べないということはありません。礼拝の聖餐式に使うパンをイースト菌なしのものにすることがある程度です。それも教会によっては普通のパンを使ったりします。

それではまたいずれ。主にありて。

※あくまで一信徒による要約ですので神学的に間違った解釈をしている場合もあり得ます。その点はご容赦いただきたく思います。