木曜です。マロです。今週もお付き合い下さいませ。

先週は不幸を乗り越える5つのプロセスの全体像について書きましたが、今日はその5つのプロセスの最初の一つ『否認』について、ちょっと詳しく考えてみようかと思っています。

何らかの不幸が襲ってきたときに「ウソだ、そんなはずない」「信じたくない」と、その不幸な事態を受け入れられない状態がこの『否認』のプロセスです。見まちがいじゃないか、聞きまちがいじゃないか、とにかく何かのまちがいじゃないか、と、目の前の事態を疑ってしまう段階です。「疑い」というとあまり良くないことに聞こえたりもしますが、必ずしもそうではありません。これは心の強い人、弱い人に関わらず、誰もが持っている習性じゃないかと思います。いえむしろ持っていなくてはいけない習性じゃないかと思います。なぜなら、もし人間にこの習性がなかったらと考えると、色々と困った事が生じるからです。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがあります。夜道を歩いていて、何かがガサッと突然動いたので「幽霊だ!!」と驚いたのだけれど、よくよく見てみたらススキの穂が風に揺れただけだった、という話です。これはこの『否認』のプロセスが有効に働いているからこそ、生じる現象です。「幽霊だ!」と思った後に、「いや、幽霊なんてそうそう出てくるもんじゃない」と、まず目の前の事実を疑ってみるからこそ「対象をもう一度よくよく観察してみる」という行動が起こせ、その結果「なんだやっぱりススキじゃないか」という安堵を得る事ができたわけです。

経理の仕事をしていて、「わぁ!今月は赤字だ!」と思ったとき、「あれ?でもこんなに赤字になる理由は思い当たらないぞ、何か計算のミスかもしれない」と、エクセルの入力チェックをしてみたら、案の定、大きな入力ミスが発見された。なんてことはよくあることではないでしょうか。これも『否認』のプロセスが有効に働いた結果です。

このプロセスは悪い事ばかりでなく、良い事でも生じます。何かとても良い事があった時に「夢じゃなかろうか」とほっぺたをつねってみる、なんていうのはこの『否認』のプロセスの一種です。試験の合格発表なんかで、一度自分の番号を合格者一覧表に見つけたあと、「まちがいじゃないよな?」と、もう一度見直したりするのもこのプロセスの一種です。

他にもいくらでも例はありますが、このように『否認』のプロセスは、人間にとって必要かつ健全なものであって、むしろなくては困るものなのです。何か目の前に事態が生じた時に、人間にはそれが本当に目の前に生じているのか否か、チェックする機能が組み込まれているのです。他の動物にはこの機能は、皆無とは言いませんが少なくとも人間ほどに組み込まれていることはありません。疑いは人間の特権なのです。

新約聖書に出てくる十二使徒の一人であるトマスは、キリストが十字架で死んだ後、三日目に復活して目の前に現れたとき、なかなかその復活を信じられずに最後まで疑いました。「これは別の人ではないのか」と疑った彼は、キリストの脇腹の槍傷にその手を突っ込みまでして、その人がキリストであることを確認しました。それで彼は「疑いのトマス」なんていう、あまり好ましくない仇名をつけられてしまいました。しかし、トマスの気持ちもよく分かります。死んだ人が復活する、なんてそりゃすぐに信じろと言われてもなかなか信じられるものではありません。疑って当たり前だと思います。僕はクリスチャンなので最終的にその復活を信じていますが、その僕でさえトマスの疑いは無理もない、もっともだ、むしろ健全だ、と思います。そしてキリストも彼の疑いを決して否定してはいません。キリストはトマスに、自分の槍傷に手を突っ込むことを許しています。「それで信じられるなら、そうすればいい。気の済むまで疑って、確かめて、その上で信じなさい」ということです。

『否認』というのは人間に備わった防衛機能の一つです。あまりに素直になんでも信じてしまうのは、この防衛機能の欠落であるとも言えます。逆に疑い深い人は、この防衛機能が非常に高い人であるとも言えるのです。「君は素直じゃないなー」なんて言われて悩んでる人、いませんか。割と僕もそう言われる方です。いいんです、それは防衛機能なんですから。必要で健全な防衛機能なんですから、堂々と疑わしい事は胸を張って疑えばいいのです。納得するまで疑えばいいのです。トマスのように槍傷に手を突っ込んでしまえばいいのです。

疑い深い人の方が、一度確信したことには揺るぎない自信を持つことができ、その後の行動も揺るぎません。トマスはその後、揺るぎない信仰をもって、他のどの使徒よりも遠い、インドまで渡って宣教を行い、そして殉教したと言われています。今でもトマスが建てたと言われる教会がインドには残っているそうです。また、トマスの疑いの行動は「イエスが実体を伴って復活した」ということの証として、後のキリスト教の発展に大きな影響を与えました。トマスの疑いがなければ後のキリスト教の発展はなかったとさえ言えるのです。

不幸を乗り越える5つのプロセスの最初の『否認』、この段階で気の済むまで疑うことが、この後のプロセスにも大きく影響してきます。ここをうやむやにして「なんか納得できないけど、とりあえず受け入れておこう」なんてやってしまうと、後々かえって面倒なことになったりします。事実を事実として受け入れる前に、その事実が本当に事実であることを確かめる、これがどんな不幸にせよ、それを乗り越えるためにとても大切なことなのです。だってそもそも枯れ尾花の幽霊だったら、乗り越える必要さえ、何もないんですからね。

『否認』『怒り』『取引』『抑うつ』『受容』。先週挙げた「不幸を乗り越える5つのプロセス」のうち『受容』以外の4つのプロセスは、一見、あまり好ましくないもの、スキップできるならスキップした方が良いもののように見えたりしてしまうのですが、実はそうではなく、どれも人間にとって必要かつ健全な機能なのです。神様が人間に与えた「人間らしさ」がこのプロセスには凝縮されています。と、いうわけで来週は『怒り』について書こうかな、と思っています。もしかしたら気が変わるかも知れませんが。

ではまた来週。梅雨のせいか、何となく体調がすぐれないという人が多いようです。皆様、ご自愛下さいませ。それではまた来週。

主にありて。マロでした。