木曜日です。マロです。東京は昨日、梅雨入りしました。ジメジメした過ごしづらい季節が始まりますが、それが終われば夏がやってきます。僕は毎年、梅雨が来ると「嫌だなー」と思うのですが、しばらくすると「ってことはもうすぐ夏だ、嬉しいな」とも思うのです。さてさて、あいさつはそこそこにして、今週もお付き合い下さいませ。

「死」というのは誰もが避けて通れないことです。誰もが一度は必ず通る道です。できれば死の恐怖なんて味わう事なく、一瞬でポックリ行ってしまいたい、なんて思ったりもしますが、それはそれこそ「神のみぞ知る」の領域ですから、死の恐怖も必ずしも避けては通れません。死の恐怖を味わってしまう典型的な例として、ガン等の病気における余命宣告があります。この宣告を受けた患者がどのような精神状況になるのかを、何千もの臨床例を研究して調べた研究家がいます。エリザベス=キューブラー=ロスという人です。彼女によれば、人が余命宣告を受けて、その死を受容するまでには5つのプロセスがあると言います。

一つめは『否認』です。「自分が死ぬわけがない。何かの間違いだろう」とその宣告自体を否定する段階です。二つめは『怒り』、「どうして自分が死ななければならないのか。どうして自分だけこんな目にあうのか」と、怒りを覚える段階です。三つめは『取引』です。「お金はいくらでも出すのでどうか助けて下さい」とか「これから清く正しく生きますから病気を治して下さい、神様」とか、何らかの存在に取引を持ちかけて命を保とうとする段階です。四つめは『抑うつ』、「あぁ、やっぱりどうしてもダメなのか、自分は死んでしまうのか」と落ち込んでしまい、何もできなくなる段階です。最後は『受容』です。「死ぬのは是非もない。ならば死ぬまで有意義に過ごそう」と、自分の死を肯定的に受け入れる事ができる段階です。

このような5つのプロセスを辿って、人は死を受け入れていきます。この5つのプロセス理論はホスピス等のターミナルケア、終末医療の現場で広く研究され、活用されています。そういった現場で働く人たちなら一度は彼女の著書に触れたことがあるのではないでしょうか。そのくらい、有名になった理論です。必ずしもすべての人がこのプロセスのすべてを辿るとは限りませんし、すべての人が最後の「受容」の段階にまで至れるとも限りません。その前の段階で死を迎えてしまう人も多いそうです。それでも少しでも「受容」の段階に近づいてもらうための手助けをするのが、現代のターミナルケアの一つの仕事となっています。

とはいえ、「自らの死」というのは、なかなか私たちにはまだ想像し難い事象ではあります。ですからピンとこない点もあると思います。では、この「自らの死」を他の何らかの不幸に置き換えてみましょう。「親しい人の死」でも「失恋」でも「事業の失敗」でもなんでも構いません。そういった不幸を乗り越える時も私たちは同じ5つのステップを踏んでいるのではないでしょうか。

例えば失恋なら、恋人に別れを告げられて最初は「え?冗談でしょ?別れるなんて、そんなことないでしょ」という『否認』の段階があり、「なんで僕が振られなきゃいけないんだ?」という『怒り』の段階があり、「もっと君に優しくするから、別れるなんて言わないでやり直そうよ」という『取引』の段階があり、「あぁ、どうしてもダメなんだね、寂しくて何も手に着かない」という『抑うつ』の段階があり、最後に「ダメだったんだから仕方ない、この恋で学んだ事もたくさんあるし、次の恋をしよう」と、前向きになる『受容』の段階に至ります。みなさんそれぞれ、色々な不幸を想像してあてはめてみて下さい。必ずしもすべてのステップを踏むとは限らず、中にはどこかのステップをスキップするような場合もあるでしょうが、大抵の不幸はだいたい何となくこのプロセスを踏んで克服される、ということがお分かりいただけると思います。

このステップを知っていると、自分が何かの不幸に見舞われた時に、「あぁ、自分は今、このプロセスにいるんだな。だから今、怒りの感情が出てきているのも無理のないことなんだ」とか「あぁ、落ち込んで何もできなくなる時があるのも、この不幸を克服するために必要なプロセスの一つなんだ」と思う事ができます。不幸克服のロードマップを手にしているようなものです。不幸を目の前にすると、人には次から次へと色々な感情が襲いかかってきますが、その感情に押し流され、翻弄される事なく、立っていることができるようになります。さらには不幸に見舞われている友人に対しても「今、この人はこの段階にいるんだな。ならば必要な手助けはこれだな」と適切なケアをできるようにもなります。それはとても大切な事です。

『否認』『怒り』『取引』『抑うつ』『受容』この5つのステップについて来週から一つずつ5週に渡って解説していきたいと思います。

どんな不幸をも最初からすぐに『受容』できるのが理想的なのでしょうが、それはきっとキリストだとか仏陀だとか、そういう次元の人たちにのみなせる業でしょう。キリストでも仏陀でもない僕たちは、どうしてもその前の段階を踏まなければならないことも多いと思います。そんな時に「事実を受け入れられない自分はダメだ」とか「怒ったってどうにもならないのに何をしているんだろう」とか「こんな取引で何とかしようとするなんて自分は卑怯だ」とか「こんなことくらいで動けなくなる自分は弱い」とか思わないで「あぁ、これもこの不幸を克服するために必要で、かつ健全なプロセスのうちなんだ」と思えれば『受容』の段階に至る時間もきっと短くなるはずです。不幸を前にして、色々な感情に悩まされるのは自分だけではない、みんなそうなんだ、と、そう思えるだけで、少しは楽になれるのではないでしょうか。

昨日の気象庁の梅雨入り宣言を聞いた僕は、最初「まだ早いだろ、だいたい今日は雨も降っていないのに梅雨入りのわけがない」とまず『否認』し、「梅雨なんて頭痛もするし、じめじめするし嫌だ!」と『怒り』、『取引』の段階は飛ばしましたが、「あ・・・雨が降ってきた、やっぱり梅雨なんだ・・・」とガッカリし、つまり『抑うつ』になり、最後に「梅雨が来たならもうすぐ夏だ!よし、夏に向けて楽しい事を考えよう!」と、梅雨を『受容』しました。ほんの短時間のうちのことですが、思い返せば確かにそんな「受容の過程のドラマ」がありました。こんな身近な例でも、この5つのステップを踏んでいたりするわけです。

ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷ、らんらんらーん。

と、梅雨も楽しく参りましょうね。
それではまた来週。

主にありて。マロでした。