木曜です。マロです。イギリスのコンサート会場でのテロの犠牲者の方々に追悼申し上げます。追悼申し上げつつ、思う所があったので今回はそれについて書こうかと思います。

イギリスのテロは大きなニュースになりましたが、実は日本では大きなニュースにならないところで、毎日のように今回のテロと同じくらいの規模の破壊と殺戮が起こっています。テロの首謀者は「これはイギリスに対する報復だ」と述べています。見方を変えればイギリスは被害者であるばかりではなく、加害者でもあるわけです。今回のことは「イギリスの人たちかわいそう、がんばって」だけで済ませられるほど単純な問題ではないのです。

とはいえ、もちろん「だからテロも仕方ない」とは決して言いません。口が裂けても言いません。そんなものを容認していたら世界は無法地帯になってしまいます。法の秩序が壊され、物理的な力が権力となって横行することでしょう。「やられたからやり返して良いのだ、むしろやり返すべきなのだ」という考えは子どもの喧嘩の理屈です。

しかしとはいえ、だからと言って、アメリカやイギリスを始めとする民主主義国家の主張と行動が絶対的に正しいのだ、とも断言はできません。「やられたから、やった奴を徹底的にぶっつぶすのだ」って、これも子どもの喧嘩の理屈です。ISのような過激派の発生、貧富の差の拡大、富と幸福の乖離、こうしたことは民主主義の限界を示しています。今のままの民主主義では、世界はゆっくりと崩壊に進んでしまうでしょう。何らかの手段での変革が求められています。

とはいえ、もちろん「だからテロも仕方ない」とは・・・・・しかしとはいえ、だからと言って・・・・・とはいえ、もちろん「だからテロも・・・・・・。

頭の中は堂々巡りです。本当はこれだけでなく、今回のテロについてはここには書き切れないくらい、色んなことが頭の中で堂々巡りしています。困ったことです。僕の頭が悪いのか、はたまた問題が難しすぎるのか。少なくとも僕には答えが出せそうにありません。

こんな時、クリスチャンには必殺業があります。「祈り」です。祈りとは必ずしも何かを「お願い」するものではありません。「問い」も一つの立派な祈りです。どう祈るか。僕はこう祈ります「主イエスならどうしますか」。この状況を目の当たりにして、もしあなたが地上に生きているならどうしますか、と問います。これは実はアメリカでは主にクリスチャンの若者たちの間で合い言葉やスローガンのようになっている祈りです。「WWJD」この4文字がこの祈りを示します。この4文字をアクセサリーなどにして身につける人がたくさんいます。これは「What Would Jesus Do?」の略です。「主イエスならどうしたか」これを基準にして自らも生きよう、という姿勢を示すものです。

しかし、祈っていきなり答えが与えられるものではありません。神様は打ち出の小槌ではないのです。あらゆる知識が祈れば与えられるものなら、僕は明日の競馬の結果を祈って神に尋ねます。「WHWW (Which Horse Will Win?)」です。人には知るべき知識とそうでない知識がありますし、知るべき知識にも知るべきときがあります。必ずしも今すぐに与えられるとは限らないのです。しかしそれでも大切なのは問い続けることです。分からないことを分かったふりで済ますのではなく、「わかりません」と宣言して問い続けることです。

恐らく、でしかないですが、今のこの惨状は権力者たちが分からないことを分かったフリをすることで生じているように思うのです。「これが正義だ。俺は知っている。これが正義なんだ」と、こういう姿勢が悲劇を生んでいるように思うのです。テロの首謀者は神にちゃんと問うているのか、トランプ大統領も神にちゃんと問うているのか。メイ首相は問うているのか。安倍総理は問うているのか。野党の方々は問うているのか。彼らは問うていないように思うのです。問わずに「これが答えだ」と知ったかぶりをしているように思うのです。「問うた上で得た答えがこれだ」と主張する人もこれと同類です。哲学の祖、ソクラテスは言いました。「無知の知」。自分は知らないということを知れ。それが知恵の始まりである、と。自分は知っている、と思っている者は、自分は知らないということを知っている者よりはるかに愚かである、と。

知らないことは問えばいい。誰も知らないことなら神に問えばいい。それが知らないことの宣言であり、真の知恵の始まりです。「WWJD」たった4文字です。心に留めてみて下さい。なんなら「What Would Buddha Do?」で「WWBD」でも良いです。「What Would Allah Do?」で「WWAD」でも良いです。なんであれ、自分の信頼するものに問い、自分は知らない、と宣言してみて下さい。世界中のみんながそうしたら、少なくとも今よりは世界は平和になると思います。

重たい話になってしまいました。こんな話をしなくていい世界になればいいのですが。ではまたいずれ。主にありて。マロでした。