木曜です。ウソです。金曜日です。一日遅れてしまいました。ごめんなさい。マロです。今週もお付き合い下さいませ。

ゴールデンウィークまでもう少しですが、僕は自営業なので一足お先に火曜日から昨日の木曜日まで休暇をとって、伊豆と箱根をのんびりと旅して参りました。と、いうわけでこのコラムの更新が一日遅れてしまったわけです。

さて。

生まれる前、お母さんのお腹の中にいる胎児って、ずーっと微笑んでいるんですって。(うかつにGoogleの画像検索をすると、かなりグロテスクな画像も混じって出て来てしまうので注意して下さいね)それも弥勒菩薩の「半跏思惟像」(こちらは安心して画像検索を!)のような、いわゆるアルカイックスマイルという奴です。「あるかなしかの微笑み」という奴です。ある研究によると、幼い子どもは平均して一日に400回も笑顔を見せるそうです。それが大人になると、一日に20回がせいぜいだそうです。

あーそうかー、と思いました。人間って、そもそも笑顔がデフォルトなんですね。キリスト教的に言えば、神は人間を笑顔の生物として創造した、しかし罪によって笑顔が妨げられてしまっている、ということになりますかね。アダムとイブがエデンの園でしかめっ面で生きていた、とは想像しにくいですものね。

また、聖書には子どもについてこう書いてあります。

「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」ルカ18:16〜17

アダムとイブをエデンの園から引き離したもの、キリスト教ではそれを「罪」と表現しますが、その言葉を用いないとしたら、僕らの笑顔を妨げているものって、何なのでしょうね。それは「子どもの状態から離れてしまう」ことなのかも知れません。う考えると「休暇」というもののあり方が少し見えた気がしました。「笑顔を妨げているものを避ける期間」「子どもに返る期間」これが「休暇」なのではないでしょうか。

身体の疲れが笑顔を妨げているなら身体を休めてあげる期間、やりたいことができなくて笑顔が妨げられているならやりたいことをやる期間、会いたい人に会えなくて笑顔が妨げられているならその人に会いに行く期間。子どもは疲れればどこでも寝ますし、やりたいことはどこでもやりますし、会いたい人には惜しみなく笑顔を向けます。そんな風に、子どものように過ごすこと、それが正しい休暇なんだなーと思いました。

実は僕はそれでこの休暇はコンピュータには触らない、インターネットはなるべく見ない、ということにしました。テレビのニュースもなるべく見ないようにしました。世の中に流れる、悪いニュースや悲しいニュースが、僕の笑顔を妨げているな、と感じたからです。それと、ブログを書くとか、Twitterに投稿する、とかいう行為のために、いつも頭の中で文章を考える、というのも僕の笑顔を妨げているな、と感じたので、3日間はそれもお休みしました。

情報のインプットとアウトプットを遮断して、脳みそを休めたわけです。どんなに楽しい、大好きな遊びの最中でも、疲れれば子どもはパタッと寝ます。寝て、体力が回復したらまた思いっきりその遊びの続きを始めます。おかげで今日は諸々、すっきりしています。文章を考えるのを休んでいたはずなのに、来週以降のブログのネタも、むしろ蓄えることができました。良い休暇でした。

休暇に大切なのは「あれもしよう、これもしよう」と、与えられた時間に色んなものを詰め込むことではなく、どちらかと言えば、コツは「離れる」ことだと思います。「あれもしよう、これもしよう」は少し間違えればすぐに「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」になってしまいます。そうなってしまうと、普段の仕事と本質はあまり変わりません。バケーションという言葉は英語で書くと「vacation」ですが、これの原語は「vacant(空っぽ)」です。詰め込むよりも空っぽにすることが「バケーション」だということです。

皆様も、これからゴールデンウィークですから、今このタイミングで「自分の笑顔を妨げているものはなんだろう」と考えてみてはいかがでしょう。そうしてから連休を迎えれば、きっと有意義な連休が過ごせることと思います。

ちなみに教会はゴールデンウィーク中でも日曜日は通常通りの営業です。もしよろしければこの機会におでかけください。上馬キリスト教会は観光的な訪問も歓迎致します。神様は私たちの笑顔を喜ぶ方です。誰でも教会に笑顔を見せにいらして下されば、神様はきっと大喜びします。

ではまた来週。主にありて。マロでした。