みなさまご機嫌いかがでしょうか。木曜日です。マロです。今週もお付き合い下さいませ。

さてこのコラムも早いもので第13回目を迎えました。この「13」という数字、世の中では不吉な数字とされていますよね。「13日の金曜日」なんて有名です。しかし皆様、なんでこの数字が不吉とされるか、ご存知ですか?

日本では「キリスト教の影響だろう」なんて思っている方も多いようですが、実は聖書にはどこを読んでも「13」が不吉だなんて書いてありません。

キリストの最後の晩餐が13人で行われたからだ、という説もありますが、これは惜しい線です。半分は正しいのですが、半分は正しくありません。

実は元々不吉とされたのは「13」という数そのものではなく、「13人の食卓」です。「最後の晩餐」説はこの点では正しいのですが、不吉なのは「13人の食卓」全般であって、そこにキリストがいるか否かは関係ないという点を見ると正しくありません。。

13人の食卓全般がキリストに関係なく不吉とされたと言われる根拠の一つにグリム童話が挙げられます。グリム童話は原則としてキリスト教とは関係のない書物ですが(中には例外的に「マリアの子ども」など、キリスト教色の強いお話もありますが、ごく少ないです)そこには「13人目の魔女が悪さをする」タイプのお話が何例かあります。大抵は12人の食卓に、招かれざる13人目がやってきて、会食を拒まれてそれを怨んで悪さをする、というお話です。

このように、キリスト教に限らず西洋文化全般において「13人の食卓」は不吉とされているのです。ではどうして「13人の食卓」が不吉なのでしょう。これは西洋の物の数え方に理由があります。

日本では鉛筆を買うときくらいしか使うことがありませんが、ダース、という数え方が西洋にはありますよね。ご存知の通り、1ダースは12個です。なぜ10じゃなく、キリの悪い12を一単位にしたかというのには諸説ありますが、古代では意外と多く用いられていた数え方です。1年は12ヶ月ですし、黄道の星座(星占いの星座)も12ですし、東洋の干支も12です。聖書に書かれているキリストの弟子も12人ですし、これの由来となっているイスラエルの部族も12です。これほど多く、古代の文化において12が重視されたのは、12という数が2でも3でも4でも割り切れる「完全数」だったからだと言われています。

ともかく、西洋では1ダースを一単位にすることが非常に多かったので、食器やコップなども12枚で1組という作られ方、売られ方が非常に多く、それにともなって会食用のテーブルも12人用というのが多かったのです。12しか席がないのに、13人目のお客が突然来てしまったら、ホストは困りますよね。それで「13人目の客」は「招かれざる客」の象徴とされるようになったのです。「13人の会食」には1人、「招かれざる客」がいる、ということです。それは「不和」の象徴です。その意味ではキリストの最後の晩餐もこの例に漏れていません。キリストを裏切るイスカリオテのユダが「招かれざる客」というわけです。

アメリカではよくホームパーティが行われますが、それに招かれた時に、事前にホストに告げずに勝手に友達や恋人を連れて行ったりすると非常に嫌がられることがあります。当たり前ですよね、料理の都合もありますし、食器の都合だってありますから。何人目であれ「招かれざる客」は不吉なのです。

恐らく、「招かれざる客」を生じさせないため、ホストを困らせないようにするためのお客側の配慮から、次第に「13は不吉だ」とされるようになったのでしょうね。そんな風に考えると「13を避ける」という文化はある意味で「気配りの文化」「おもてなしの文化」なんだとさえ思えてきます。「13を避ける」に限らず、現代社会で「迷信」と言われてしまっている風習も、よくよく調べたり考えたりしてみると、現実的な理由があったりするものです。言わばおばあちゃんの知恵袋ですね。

ではまた来週。皆様楽しい日々をお過ごし下さいませ。

主にありて。マロでした。