ようやくすっかり風邪が治って元気になりましたマロです。麦門冬湯(バクモントウトウ)という咳止めの漢方薬がとても効きました。お湯に溶かしてお茶代わりに飲むと喉のイガイガがスッと収まります。オススメです。

さて、お花見のシーズンになってきましたが、上馬教会は少し寂しい気持ちになっています。と、いうのも、長年に渡って私たち教会員を楽しませてくれていた教会の庭の桜の樹が、今年からなくなってしまったからです。教会ができた頃からずーっと立ってきた樹だそうですから、樹齢50年以上になる大木だったのですが、病気にかかって幹が穴だらけになり、いつ倒れてもおかしくない状況になってしまいました。教会側に倒れたら会堂が壊れてしまいますし、道路側に倒れたら道が通れなくなって近所の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまうので、「せめて今年の春にもう一度花を見てから」という声もあったのですが、2月に伐ってしまいました。本当にギリギリの状態でしたから、苦渋の決断でした。

教会の自慢の桜でした。毎年4月にはこの桜を愛でながら、庭でみんなでちらし寿司を食べながらお花見会をしていました。先日の総会で来年度のスケジュールが決まりましたが、そのスケジュールに「お花見会」の文字がないことに、教会の誰もが寂しい気持ちになったことと思います。教会員のみならず、「あの桜の樹のところの教会」と言えば多くの人が分かるくらいに、近所の人たちにも愛された桜でした。先日、近所のバーで飲んでいましたら「あの桜どうしたの?」と尋ねられたりもして、本当に愛されていたんだなーと実感させられました。

ボストンにいた頃、ボストンにも桜の樹はあるのですが、アメリカ人には日本人が桜に感じる特別な感情をなかなか理解できないらしく、「そんなに桜が好きなら、品種改良してもっと長く咲いているようにしちゃえばいいのに。日本のテクノロジーならできるだろ?」と聞かれたことがありました。。一生懸命に「桜はすぐに散るから美しいのだ」と説明しても、なかなか理解してもらえませんでした。ずっと咲いている桜なんて、、、ねぇ(笑)。

とは言え、今回この桜の樹を伐るにあたっては、「あぁ、そんな風にテクノロジーでなんとかならないのかなぁ」なんて思いました。

しかし、人に寿命があるように、樹にも寿命があります。それは神様が定めたこと。それを潔く受け入れて、こうして在りし日のことを想起すること。それが桜を最後まで愛でるということ、命を愛でるということなのかな、と思います。

ちょっとしんみりしちゃいましたが。
それではまたいずれ。主にありて。マロでした。